俺はなんばんぼし

釣具屋と不動産屋の

第四回「ヤフン 人生の体感時間」

 

最近、時間の経過が目まぐるしい。気が付けば夏至はとうに過ぎ去り、日照時間がこれからどんどん短くなっていくそうな。シベリアの遥か上空ではすでに冬の大将軍がアップをしはじめだしている。つまりは、もう7月がもう終わっちゃうってこと。今年に入ってはや7か月が経とうそしているのだ。最近、あまりにも時間が経つのが早い。

 昔の旧友なんかと居酒屋で話して、近況やら、仲間内の噂話がひと段落したところで、誰かがこう口にするのを誰しもが耳にしたことがあるだろう。

「社会人になってから、時間たつのははやくね?」

これは魂のぼやきだと思う。こと、大学を卒業し、華の社会人になってからはこの加速感を感じるのは全人類共通の様で、皆真剣な顔でふんふんと共感していることと思う。まことにその通りだ。

 私は暇なときなど、ついつい2chのまとめサイトを読んでしまうのであるが、人生における体感時間に関するかようなまとめを読んだことを痛烈に覚えている。

「1年の体感時間は年齢の逆数に比例する」

説明がめんどくさいので、wikipediaの一文を抜粋したいと思う。

50歳の人間にとって1年の長さは人生の50分の1ほどであるが、5歳の人間にとっては5分の1に相当する。よって、50歳の人間にとっての10年間は5歳の人間にとっての1年間に当たり、5歳の人間の1日が50歳の人間の10日に当たることになる(出典:「ジャネの法則wikipedia

これはジャネの法則というらしく、ネイバまとめなんかにも載っているので暇な人は読んでみるといいかもしれない。

こんなに恐ろしいことがあるだろうか。全人類がこの法則を体感し、時間の残酷さに怖れおののいているのである。死がひたひたと忍び寄ってきている。道理で皆、やれ婚活だ転職だなんだと騒ぐわけである。皆、人生のはやさに焦っているのだろう。

 サラリーマンになってからこの感覚が顕著なのは、やはり日々がルーティーン化し新鮮味がかけるからだ、というのは皆同じ意見だと思う。この途方もない退屈な日常に大半の時間を消費していると、新しいこと、刺激的な事はなかなか起きないものである。

 ところで一瞬のことに悠久の時を感じたことがあるだろうか。車にひかれる瞬間や、好きな子に告白する瞬間などがそれにあたるであろう。まさに、「ジャネの法則」に打ち勝つ瞬間だと思う。でもおそらく何度も車に引かれるような不注意な人間や、誰にでも愛の告白をするような軽薄な人間は、何度目からは悠久の時を感じなくなるだろう。つまりは自分の中で新鮮さがなくなった瞬間、その事象が日常生活のルーティーンに取り込まれてしまうのである。これこそが「ジャネの法則」の強烈なところなのだ。強大な力を持つ「ジャネの法則」に打ち勝つには、新しい事、刺激的な事は絶やしてはいけないのだと。「はじめて」の経験をどんどんやってくべきなのだ。人生における豊かさとは、こういう事なのかもしれない。

 さて、前置きが長くなったが、私も少し前にちょっとだけ特別な「はじめて」を経験し、「ジャネの法則」に打ち勝ったことがあるので、その話をしたいと思う。

 私は実のところ釣りが趣味なのである。釣りといってもたくさん種類がある。魚の数だけ釣り方があると言っても過言ではない。そんなあまたある釣りの中でも私のお気に入りはジギングという、ブリとかヒラマサといった通称青物を釣り上げる釣法だ。島根に友人(あだ名はマサ、トマト農家)がいるので、そこまでついと足をのばして3か月に一度くらいは日本海を駆けるの青い大物と勝負をしているのである。私の「はじめて」経験は、マサとこのジギングという釣りをしているさなかに起こったのだ。

 ジギングをするのは決まって島根県の沖磯だ。沖磯というのは、船でしか行くことが出来ない陸から孤立している磯場の事である。いつも行く沖磯は漁港から漁船で10分くらいの所にある。漁港を少し出ただけで、陸からは見ることが出来ない海の表情がうかがえるものだ。波で見え隠れする岩礁や高く切り立った岩の島。海面と同じ高さから見ることでその迫力は増すのだ。まさにジオグラフィック。ふと海上を見るとトビウオが滑空しているのも見える。あいつらは本当に空を飛んでいるのだ。一体どんな気持ちで空を飛んでいるのであろうか。都会の喧騒から離れ、ネイチャーを体内に存分に取り入れていると、あっという間にいつもの磯場に到着する。周囲300mほどの小さな岩の島で、足場はもちろん岩しかなく、当然横になることはおろか、腰を掛ける場所を探すのも一苦労なごつごつ具合である。

とはいえそんなごつごつ具合にも慣れたもので、磯場に降り立つや否や、るんるんと釣りの準備を瞬時に終わらせ、メタルジグという金属製の疑似餌を大海原へとキャストする。そしてメタルジグに青物が食いついてくるまで、延々と竿をぶんぶんと振り続けるのだ。青物は肉食の大型魚なので、イワシとかアジなど小型の魚を捕食する。そのため、ジギングとはメタルジグを小魚に見せかけて青物を釣り上げる、という釣法だ。メタルジグが泳いでいる魚のように見せかけるために3mはある竿を上下に1秒間あたり2往復は振る。それはもう振りまくるのだ。例えるならばマキシマム・ザ・ホルモンが見せるヘッドバンキングを釣り竿でやっているようなものだ。これはものすごい速さであり、竿でこれを行うと竿先がしなり時折音速を超えて衝撃波が出るくらいである。しかもメタルジグはだいたい100gくらいのものを使う。100gと聞くと大したことがなさそうだが、水の抵抗というのは玩具コーナーで駄々をこねる子供くらい大きな抵抗なのだ。要約すると、ジギングという釣り方は、3mの竿先に小さな子供をくっつけてヘッドバンキングするような、非常に過酷極まりない釣りなのである。そんな過酷な釣りを、大の大人が二人して大海原に向かって無言で黙々と竿をぶんぶん振り続けている。奇妙奇天烈意味不明でおよそ頭のおかしい光景であると思うが、一度青物を釣り上げると、もう説明は不要であることを確信できる。ガツンと当たった瞬間、ビックフィッシュとの格闘、そして見事釣り上げた時の達成感たるやおそらく脳みそからアドレナリンやらエンドルフィンやら何から何まで出てしまっているのであろう。リビドーどころの騒ぎではないのだ。話がそれた。

とまあ、このような釣りを楽しんでいたのであるが、大海原に向かって竿をぶんぶん振っている際に突然異変は起きた。猛烈にお腹が痛くなったのである。場所は船でしかいく事の出来ない沖磯。陸からは完全に孤立しており、ぼっとん便所はおろか、文明というものが一切ないような場所でである。その瞬間、私の脳みそはフル回転した。過去の経験からこの腹痛は我慢できるレベルなのか、肛門という弁からの吐出までの最大許容時間、紙類の有無、昨日食べた物の何が原因なのか。この痛みは我慢不可だ。27歳にして脱糞というのはあまりにも情けない。かといってその場で排泄した私の分身たちを海にまき散らして撒き餌にするほどの豪胆さもない。そうだ。物陰に隠れて野糞(ヤフン)しよう。そうだ、それしかない。そうしよう。その覚悟をした時の私の顔はおそらく宇宙の真理を見たゴーダマ・シッダルダのように澄み切っていただろう。海面は波でキラキラとまばゆく光り、空はどこまでも青かった。

 そうと決めた私は、事を成す場所を探した。何せ初めてのヤフン。場所はできるだけ神聖な方がいい。沖磯の釣りポイントの背後は小高い岩山になっており、15mも登れば山頂となる。その岩山の山頂はちょうど下からは見えないし、沖磯の中では最も高い位置となる。いかにも見晴らしがよさそうであり、まるで世界を生み出す創造主のような気分になれるのではないか、と半ば興奮しつつ、そこに祭壇とすることとした。友人のマサに見つからないようこそこそと移動しようとしたところで、私の脳は再びフル回転した。そうだ、紙を忘れていた。インドでは左手で事を成した後の浄化をするらしいが、ここは日本である。カレーだってスプーンで食べているのに、なぜ、左手で拭くなど野蛮な真似ができるだろうか。危ない危ない。冴えわたる自身の脳みそにほれぼれしながらも、マサには気づかれないようにさりげなく、聞いた。

「マサ、紙ってあるんだっけか?」

「ん?あるよ。もしかしてうんこ?」

なんとデリカシーのない男であろうか。厳粛に行われるべき儀式に水をかけられた気分である。というか彼の冴えわたる勘の良さには脱帽せざるを得ない。さては常習犯であろう。動揺しつつもいたって平静を装いながら紙を受け取ると、私は全米オープンに出場しているトッププロゴルファーのように、背筋をしゃんと伸ばし、粛々と山頂へ歩き出したのだ。

 小高い岩山を括約筋に程よい緊張を与えながら登りきった時のえも言われぬ開放感を私は忘れることが出来ない。山頂に着くと、海に囲まれた岩の小島を一望でき、日本海の水平線が私を包み込んだ。モーゼはきっとこういう気分だったのだろう。ズボンを脱ぎ捨て、まるで天使のそれを丸出しにし、私は世界を創造した。一瞬の出来事であっただろう。しかし、そこに悠久の時を感じたのだ。

 興奮冷めやらぬまま、静かに祭壇を後にすることにした。美しくすらある神聖化された岩山を下りたあと、ゆっくりと、それでいて厳かに岩山を振り返った。私の作った新しい世界の周りをトンビがぐるぐると飛んでいた。見慣れぬものに興奮しているのだろうか。それは間違ってもあなたの獲物ではございませんよ、と心でつぶやいた。

 

とまあ、かような初めてを経験したのであるが、これはまさしく「ジャネの法則」に打ち勝った瞬間であった。瞳を閉じればありありとその情景を思いだすことが出来る。このように人生には刺激を与える必要があるのであろう。

 

長くなったが、今回はここでしめさせてもらう。次回は東京の不動産屋。ここでお題を設定したいと思う。次のお題は、そうだね、「美しい情景」にしようと思う。

それではこれにて。

 

文責:オガサワラ(大阪、28歳)