俺はなんばんぼし

釣具屋と不動産屋の

第五回「美しい情景」

【前回からのお題  美しい情景】

一番はじめの記事、記事というのもおこがましいけどそのはじめのやつで、脳細胞が死んでいっている、みたいなことを書いた。脳細胞の死滅。頭脳の後退。これを顕著に感じてしまうのはなんといっても神経衰弱だよ。名前からしてもう、残酷だよ。神経が衰弱してゆくゲーム。覚えよう、覚えよう、として覚える。と同時に前に覚えたものはすでに何処かへ飛んでいっている。切ない話だ、無念だ、残念だ。5歳の姪に負ける私。

逆に、覚えようともしていないのに、いつまでも覚えていることもある。それはとるに足らない、なにということもない日常や風景の一部であることが多い。覚えようとしても留めておけないことがあるのに、意図せずして十年も二十年も記憶にあり、その世界を鮮明に思い浮かべられることが、厳然と有る。これは考えてみたら大層不思議なことだと思う。
ぼくはこの意図的にしまっていない、無意識のうちに収めてしまったかつての視界、今となってはイメージとなってしまったものを情景と呼びたい。

情、つまりは各人の心・感情は表面的な意識から湧くものではなく、無意識の土壌に芽生えるもので、無意識に残ったものものは全て頑丈な記憶となる。記憶とは過去のもので、過去はたいていが美しい。だから、視覚としての記憶、情景はいつも美しい。



と、友人のいない盆暗が中学校の卒業文集でのたまいそうな事を書いてしまって私は今年一番恥ずかしい。が、消す労力があれなので消さない。このように何かもっともらしいことを言っていそうで、その実、内容のあることは何も言っていない文章を書くのが、私は得意です。

美しい情景について、特にひきだしを持たない私はある画家の言葉を一部引用する。

「風景によって心の眼が開けた体験を、私は戦争の最中に得た。自己の生命の火が間もなく確実に消えるであろうと自覚せざるを得ない状況の中で、初めて自然の風景が、充足した命あるものとして眼に映った。強い感動を受けた。それまでの私だったら、見向きもしない平凡な風景であったが―
また、戦争直後、全てが貧しい時代に、私自身も、どん底にいたのだが、冬枯れの寂寞とした山の上で、自然と自己の繋がり、緊密な充足感に目覚めた。切実で純粋な祈りが心に在った。
風景画家として私が出発したのは、このような地点からであった。その後に描いた『道』にしても、ただ、画面の中央を一本の道が通り、両側にくさむらがあるだけの、全く単純な構図で、どこにでもある風景である。しかし、そのために中に篭められた私の思い、そして、この作品の象徴する世界が、かえって多くの人の心に通うものらしい。誰もが自分の歩いた道としての感慨をもって見てくれる。国立公園や名勝と言われる風景は、それぞれ優れた景観と意義を持つものであるが、人はもっとさりげない風景の中に、親しく深く心を通わせ合える場所を見出すはずである。」

一部というわりには長くなってしまったが、東山魁夷(ひがしやまかいい)という名の画家の作品集にあった文章。つい先日、札幌で展覧会を催していたのでなんとなく行ってしまい、図らずも心ひかれ作品集まで買ってしまった。

道である。なんといっても道なのだ。

小学校の時分、北原白秋の「この道」を歌った。
中学校の時分には、高村光太郎の「道程」を読んだ。
高校の時分、ふきのとうの「風来坊」を聞いた。
大学の時分は、高田渡の「生活の柄」を知った。
風来坊と生活の柄は聞かないと分からないが、どちらも道がモチーフになっている。こうしてみると、道だらけの28年で、思えば自分にも忘れがたい道があった。

その時、私は立ち往生していた。場所はといえば、左手で尻を拭く国、インドである。私は、と書いたが往生していたのは私だけではなく、ジャビドもまた共に往生していた。ジャビドはインドで友人になった青年であり、私たちはジャビドのバイクで彼の故郷の村へと一路を急いでいたのだ。
ジャビドが幹線道路を逆走する、自分だけヘルメットをかぶるなど野蛮な行いをしていたからか、ガネーシャの怒りを買い天罰が下ることとなった。バイクの故障である。のっぴきならない道路が前後に伸びていた。行ったことはないが、アメリカのルート66、あんな感じの一本道。人家も小屋も見えず、整備場などあるはずもない一本道。
空はけたたましい快晴で、前を見ても後ろを見ても道路の彼方に逃げ水と陽炎がゆらついている。道を外れればサバナというのか荒れ地というのか、まばらな草と灌木が点々と見えるだけの視界。2001年宇宙の旅で冒頭にでてくるシーンのようだと思った。北海道でみる広大さとは種類が異なっていた。緑や白雪などなにかに覆われていない、むき出しの地球のみが眼前に広がっていた。
ジャビドがバイクと悪戦苦闘している間、私はドースルこともできず、ゴールドフレークスというインドのたばこをやりながら、ぢっとインドの熱射を浴みた。熱い陽光は否応なく私の素肌へとしみ込み、視界は網膜を抜けて頭の中のどこかに染みついた。
日本から遠く離れた異国で、数日前に知り合った現地人と見知らぬ道の上で立ち往生している。その状況が灼けるような日光の熱さと、軽い絶望と浮ついた興奮を覚えさせた。
ほどなくしてジャビドの歓声があがった。バイクが直ったのだった。私たちはその名もない、なんでもない地点を離れ、道を進んだ。

あの道にもう一度佇みたいと思う。あの道に立ちつくして肌を焼き、その広さにおののきたいと思う。
でもおそらく確実なのだが、残念なのだが、あの道にはもう二度と立てないのだとも思う。本当にどこにあるのか分からない、どこかとどこかを繋いでいる単なる道だった。


東山魁夷のいうように、国立公園や名勝には各々の価値や意義がある。その価値や意義はいわば、景勝地や絶景として存在するための資格だろう。私が今なお思うあのインドの道には、そのような資格はまずない。特段なにがあるというわけでもない、ただの荒涼とした、へんてつもない道だった。
にも拘わらず、今まで見てきた観光地や景色よりも心ひかれるのはなぜなのだろうか。これまでに見てきたという観光地、景色がしょぼいだけなのかもしれないが、思うに美しい情景とは、なんらのへんてつもない視界に研ぎ澄まされた感覚と感情が瞬間的にはしる時、説明不能な唯一性を帯びて稲妻のように出現するものなのではないか。
稲妻に焼かれたことは、その時はまだ分からず、ある時ふっと気づくのだろう。
そんな感じだ。


東山魁夷をおととい見てきたので思うところ新鮮で、お題「美しい情景」にマチすると思ったら長くなってしまった。朝5時半だ。2時間後には仕事に出ねばならぬ。
ハムスターのように好きなだけ寝ていたい。が、それも叶わない。なぜなら私はハムスターではないからね。
ということなので、次のお題は「明るいおじさん」でお願いします。

江戸川区 28歳)