俺はなんばんぼし

釣具屋と不動産屋の

第十一回「マザーコンプレックス」

読むと比較的に長いと思われるので、以下にあてはまる方は読まずに今なさっていることに専念してください。
・根っからの商人の方
・生まれてこのかた子供の方
・会社役員の方
・余生半年以内の方
パリピの方
・芸能マネージャーの方
・夜泣きをあやしている方
・役人の方
・あと5分でなにかに遅刻する方

源頼朝公が亡くなったのは1199年、正室だった北条政子がその年に尼になった。まんが日本史という、小学5年の洟垂れが見そうなアニメを半ば見つつ半ば聞きつつこれを書いている。小中高の時分が俺にもあったが、歴史は好きではなかった。特に世界史については明確に嫌っていた。明るいことがひとっつもないからである。古代ローマの哲学の開闢なり、グーテンベルク活版印刷なり、ルネサンスなり、脳みそが拓けていくような出来事もあるにはあった。が、歴史の大部分を占めるのは殺し合いであり、的確に殺すための利器の発明であり、暴君の存在であり、力なき民衆の姿だった。なんたら三世がどうの、かんたら朝がこうの、そんなことはどうでもよく、なぜ、殺し合いと策略がいつどこでどんな風に行われたかをどれだけ覚えているかで点数をつけられねばならないのか、全く腑に落ちなかった。再び同じ轍を踏んではならぬ、だから暗い歴史を学ばねばならぬ、と言う人があるが、どうなんでしょう、世界のどこかで必ず戦争が起き紛争があり、同じ国の中でさえ、電車の中でさえ、会社の中でさえ、隣近所の中でさえ、家庭の中ですら諍いが絶えていないのです。なんなんですか、これは。歴史に学び、未来に生きるのではなかったのですか。何を学んだのですか、歴史を学ぶことで。人名を覚えることで。けんかの名前を覚えることで。なんのために点数を取ったのですか。
過ちを改めざる、これを過ちという、と孔先生は言ったそうだが、過ちがずっと過ちのままだ。過ちに過ちを重ね、過ちが玉ねぎのように層をなしてゆく。玉ねぎに中身はあるだろうか。どこまで表皮を剥いても、玉ねぎの表皮が出てくることが変わらない。過ちはいくら改めようとしても、結局、過ちしか出てこない。
ということならば、過ちから逃れたいのならば、まじめに生きようと思うのならば、それは狂ってしまうか死んでしまうしかないのではなかろうか。


ー脳みそのどこかの襞から発信される「なにを言っているか分からない」という信号を、脳みその別の襞で受信した。
よって本題に入るが、俺ははっきり言って今デブだ。
デブの定義は知らないが、そんなの人の勝手だろう。あいつはデブだ、といわれている男でも「俺はなかなかのスマートだよな」と男がそう思っていたらその男はデブではないし、痩せているのに「もっと痩せなきゃ」と言っている御仁はスマートでない。デブもスマートも自分で決める、それがこれからの時代は必要だ。ビバ・個人の尊厳。自由意志社会。裏を返せば責任社会。やれん。

そんなわけで自称デブのこの俺がなぜに自分をデブと認めるかといえば、椅子に座りながら脚を組めなくなってしまったからだ。自分の身体について、そんなに気にしないで生きてきて、衝撃を受けたのは生えてきた陰毛に気付いた時と精通した時(陰毛は日付も覚えている、2001年7月23日。精通日は記憶にない)くらいだが、今度のことにはショックだった。脚を組めなくなったことに気付いたのは仕事中にサボタージュ、会社の喫煙所でシガレットをやっていた時で、ショックのあまりに「帰りたいな」と思った。
身長175.6センチ、体重81.2キロ。これが今の俺の身体基礎情報だが、もう少し詳しく明らめると、体脂肪率15.3%、体内水分率60.5%、筋肉量65.4キログラム、骨量3.4キログラム、BMI26.5。骨やら筋肉ならはぴんとこないが、脂肪とBMIは健康素人の俺でもぴんとくる。
今まで脚が組めないなんてことはなかった。空を飛ぶ大鳥が翼をはためかせるように、いつでもどこでも自由に闊達に脚を組んでいたあの頃。組み放題であったあの頃。「あの頃」がいつの頃なのか分からないが、恋しい。

というと、「甘ったれるな、俺なんかほら、これ、腹が視界を遮っては自分のちんぽも見えねえんだぞおっ」と凄む某の巨漢がレベルの違いを訴えかけてくるかもしれないが、そうなのだ、レベルが違うのだ。ネズミはゾウの苦しみを知らず、ゾウはネズミの痛みが分からない。だから争いが絶えぬのだ、ルルル。レベルが違うのだから、俺は甘ったれていない。いや、甘ったれていたから脂肪の蓄積に甘んじてしまった今があるのかもしれないが、とにかく何とかしようと思った俺はフラ・フープを回すことにした。

先日、シンガポールという異国で珍妙な爺を見物した。もしかしたら知っている人もいるかもしれないが、大きな数珠を首や腹で回す爺である。オーチャードというかしましい町で見た爺は、極めてスマートであった。スマートの理由が大道芸人という彼の選んだ職業収入の多寡に起因するのか、あの数珠回しにあるのか、それは定かではない。が、俺は恣意的に後者に賭けた。何かを回せば、それすなわちスマートなのだ、きっと。といっても皿とか猿とかをまわしてもスマートには関係がなく、やはり数珠がよいだろう。なんといっても爺という実例が目の前にあったのだから。こうして俺は数珠の虜となり、機内食もろくに食べずに日本に帰国した。

帰国後。いったい何を考えているのか、この国には大きな数珠が売っていないではないじゃないですか。あの爺はどうやってあれを手に入れたのか。直径1.5メートルはありそうで、それぞれの玉が木かココナッツでできた数珠。日本の各企業は「ここならなんでも揃いまっせ」と嘯いているが、やはりそれは嘘で、「真夜中のコンビニにはなんでもそろってるけど 二人を元に戻す接着剤はないらしい」、槇原敬之のズル休みという曲の歌詞を思い出してならない。

目当ての数珠がどうあっても見つからないので最後、ここで見つからなかったら敗残者として田舎に帰ろうと思って行ったのが、整然としてないから何でもありそうなことで有名なドン・キホーテだった。23歳くらいだが老けた従業員の青年に「こう、回すものないですかねえ、その、数珠っぽいっていうか、ねえ、こう腰とか首にね」と身振り手振り口で問いかけると、ああ、みたいな顔をして連れていってくれた棚にあったのが、フラ・フープであった。
俺は数珠がほしかった。ドン・キホーテにも数珠はなかった。約束通り、潔く田舎に帰ろう。電気代もガス代も払わずにこのまま。
と思った俺を引き留めたのは、フラ・フープの箱にあった娘。色黒の、ラテンな娘であった。名前はおそらく、ジャネット。親しい人からはジニーと呼ばれているだろうその娘だ。別に好みでも何でもないが、フラ・フープのモデルになるだけあって、腰のくびれが圧倒的である。ジャネットを見て、純粋にそのようなくびれになりたいな、と思った。「くびれ」というと、縊れる、みたいなネガチブシンキングをしてきた俺だが、その時から「くびれ」とは腰の「くびれ」でしかなくなった。俺もくびれたい。フラ・フープを回してうんたら効果とかんたら運動でスマートに!みたいな文言も箱にあるし、フラ・フープでくびれる ≒ スマート、と考えて差し支えないだろう。俺もくびれたい。くびれたい。くびれたい。くびれたい。くびれたい。
くびれたい、と2秒毎に思いながら脇の変なチョコボールやら洗剤は無視して、会計をした。


そんでどうなったかというと、くびれていない。というのも日がまだ浅いからだろうが、一番の原因はフラ・フープを回せないことにあると、俺なんかは思う。
俺はフラ・フープを回せないのだ。正しく言えば、回せなくなっていた。ラララ。
幼少のみぎり、それは5歳とかそのへんだろうが、確かに気安く回せていた記憶がある。そのへんの公園やら園庭やらで。鼻を垂らして、転べば泣いていた。
フラ・フープを最後に回したのがいつだったか、定かでない。いつの間にか回せなくなって、今に至っている。子供と呼ばれる頃にできていたことが、できなくなっている。


本題の本題。おがさわらこと、関西の農機具商からのお題「マザーコンプレックス」について。
子供の頃にしていた母の呼び方が、今、自然にできない。俺は母のことを、生まれてこの方「お母さん」と呼んできた。今は「お母さん」と呼ぶことが恥ずかしい。
この恥ずかしさは分析してみると、幾層もの「恥」を重ねているように思う。
今や世間一般に「子供」ではない俺が、かつての「子供」だった頃と同じように呼ぶ恥ずかしさ。
かといって、いきなり「お袋」とか呼んでみたときの「この子も、ああ…」と時間しか作り出さない何かを母に察知される恥ずかしさ。
母を素直に「お母さん」と呼べない自身に対する恥ずかしさ。
「お袋、」と彼の母に向かっていう父の背中が、自身に重なり合ってしまいそうになる恥ずかしさ。
以上を恥ずかしいと感じてしまう、己の心根に対する恥ずかしさ。

いくつもの恥ずかしさが折り重なって、俺は今、母の呼び方が分からない。なんと呼びたいのかも分からなくなっている。この先、どう呼んでいけるかも不明だ。
コンプレックスという言葉は、それこそ俺が、俺はデブでデブだからスマートになりたい、と考えれば身体コンプレックスを抱えていると思われるように、どちらかというとネガチブな、暗いイメージが強い。
だが、本来のコンプレックスは必ずしもネガチブなものではなく、身体・精神に起因する様々な要因が互いに色々と作用しあって無意識に生じる反応や判断のことらしい。

母の呼称に関して俺がいくつも抱え持つ恥ずかしさにも、きっとそれぞれ身体的あるいは精神的な理由がある。が、それぞれがなになのか、定かでない。そしてそれらを解きほぐし整頓した時、俺が果たして母を自然に呼ぶことができるかどうかも確かでない。
マザーコンプレックス、世間一般に知られるいわゆるマザコンは、過度に母に慕い、依存している息子に対して言われることだが、きっと俺は逆のベクトルでマザコンなのだろう。
過度に離れて母に寄りつかず、母を寄せつけなかったことで、良い距離を保てなくなってしまい、母の残像ともいうべきその乖離からくる安心と不安への粘着。実にひねくれた依存になってしまっている。
母に対して、母を素直に呼ぶことができず、不合理に申し訳ないと思う。


ちなみに父に対しても「お父さん」と呼んでいいのか、「親父」と呼んだらいいのか分からずに躊躇することがあるが、母に対するそれとはわけが違う。別の意味で申し訳ないことだが、コンプレックスというか逼迫する感じがない。
これがエディプスコンプレックスというやつか、と齢28にして思わされる。

以上が俺のマザーコンプレックスだ。


エディプスコンプレックスといえば、筒井康隆の「エディプスの恋人」が思い浮かぶ。
クライマックスの赤字が印象的だが、七瀬シリーズで一番心に残るのは、確か「家族八景」という短編だったと思う、シリーズの一作目にあった菩薩の話だ。思えばあれもある意味、マザーコンプレックスの話だった。真実を知り追い詰められた妻の描写は、凄みが凄い。
筒井康隆は自分でも話しているが、女性に対する恐怖心というかコンプレックスがすさまじい。男性はみな、筒井康隆の本を読んでコンプレックスでげしゃげしゃになればいいと思う。

男性に効く、ということは捉えようによっては女性にも効くということだ。女性もみな、筒井康隆の本を読んでコンプレックスでげしゃげしゃになればいいと思う。


次のお題は「月」でお願いします。
文責 : 江戸川の不動産屋(28)