俺はなんばんぼし

釣具屋と不動産屋の

第19回「マゾヒズムとは人間性の核なんではないかね」

誰が書いていたか全く覚えていないが、「サディズムマゾヒズムはマウントを取る方と取られる方、それぞれに快感を感じる性癖のこと、と思われがちだがそれは違う。サディストはマウントを取る方と取られる方、その両方に快感を感じているのだ、なぜなら泣かせる方はそれを泣かせると同時に泣いているからだ。そこには上から下へ、下から上への乱高下にエクスタシーを感じたいというイドがある。マゾヒズムはそんな乱高下、主従関係、一方的な矢印をよしとしないのだ。マゾヒストとは、こうした対立することで成立する関係を忌避し、それでいてその必然性にどうしようもない途方な絶望を感じ、ひとりで、髪を掻きむしることでしか快感を感じられない奴らのことだ」という論旨の文章があった。

そういうことなんで、戦争賛成も戦争反対も、フェミニズムもマスキュリズムも、動物愛護も人間至上主義も、ブルジョワプロレタリアートも、与党も野党も、保守派も革新派も、すべてサディストなんだ。自分とは異なる何かを、自分の正義と異なる何かをぶっ殺すことで自らの存在意義を辛うじて確認するんだ。緊張を食べているんだ、そうして生きているんだ。

俺は天狗党武田耕雲斎こそがマゾヒストであると思う。
「討つもまた討たるるもまたあわれなり 同じ日本の乱れと思へば」
維新前後の動乱にあって、対立することそれ自体に泣いたこの人物こそ存者の温かみだと思う。人間、だと思う。人間の人間たるゆえんは、人間にしかないものとは、対立や相対を嘆き悲しむことができる、という点にあると思うから。

文責:江戸川不動産(28)