俺はなんばんぼし

釣具屋と不動産屋の

第20回「淀川のなぞ」

国道423号線、通称「新御堂筋」をゴルフ帰りの夜に梅田から新大阪方面に車を走らせているさなか、淀川にかかる橋を渡り始めた時に助手席に座る小池が窓の外を凝視し始めた。夜の外に何があるのだろうと不思議に思った私は、

「美人でも歩いているのか」

と冗談めかして問うたものの、小池はままとして返事をしなかった。ほどなく淀川を渡り終えると、小池は私の方に振り返り言った。

「淀川に車が浮かんでいるのが見えた。ヘッドライトだけ橋の方に向けていた」

小池は意味不明の冗談を言う男ではなかったし、口調はいたってまじめだった。詳しく話を聞くと、断じて街明かりの反射ではなく、淀川の中央に車が浮いているとのことであった。

「車だったら、乗っている人死んじゃうんじゃね?」

と、後部座席で寝ていたと思っていた北村が声を上げた。

「救助したら、明日の新聞の一面に載っちゃうねえ」

むらむらと好奇心をくすぐられた私は、現場に確認に行く提案をした。北村はすぐに賛同したが、小池はこの後ナイトクラブに繰り出す予定があるらしく渋り始めた。言い出しっぺは君だぞ、と二人で糾弾すると、小池も好奇心が若干勝ったのか、淀川にかかる国道423号線の橋まで3人で見に行く合意形成に至った。

 

 大きな川の河川敷というものは広く、車で乗りこむことはできないため、近くのコインパーキングに駐車し、歩いて向かう事とした。しかしちょうど車が浮かんでいると思われる国道423号線の橋付近の河川敷は、再開発か堤防の点検なのか分からないが、ともかく工事中で、河川敷沿いの側道と河川敷の間には金網というバリケードが立ちはだかっていた。どうしたものかと頭を悩ませたが、河川敷にはジョギングコースのようなものがある、河川敷にさえ入ってしまえば橋のたもとまで行けるのではないか、と喧々諤々協議し、川の側道を北上しながら河川敷への入り口を探ることとした。側道には街灯があり暗くはないものの、人通りは極めて少なかった。その上、町工場やトラックの停留所などがあり、人の生活感はあまりなく、スパナを振り回す半裸の狂人が物陰から襲い掛かってきても文句は言えない。そう、ここは大阪。423号線の橋から1㎞程北上したところに、JR京都線の線路を渡す橋があり、そこでようやく河川敷に入る金網の扉を見つけ河川敷に入ることが出来た。

河川敷に入るとすぐに、金八先生がオープニングで歩いている様な土手があったため、そこを歩いていく事とした。

 

淀川の河川敷には街灯はなく、あるのは月明かりと街明かりのみである。存外明るいのであるが、そこはかとなく恐怖心をあおるほの暗さがあった。ジョギングコースにはうってつけであろうが、人どおりは皆無であった。

側道までは意気揚々と歩いていた我々も、なんとなく不気味な雰囲気にのまれたのか、口数が減っていった。すると自然と意識は周囲に集中するもので、後ろから気配を感じた。その時は小池と北村が前で並んで、私が後ろを歩いていたため、後ろには誰もいないはずである。気配を確かめるべく振り返ると、何もいない。再び前を向きずんずん歩いているとまた、気配を感じる。振り返る。何もいない。あ、また気配が、という事を馬鹿みたいに繰り返していた。完全に私の心は闇にのまれていた。

「見て、あれ」

と前を歩く北村が川側の土手の下を指さした。そこはススキやらなんやら背の高い植物が有象無象に生えていて、なかなか足を踏み入れることが出来ないような所の中央に一人用のテントが張られていた。人目をはばかるように、周囲の背の高い植物に身を隠し守れると思ったのだろうか、しかし土手からは丸見えなことに哀愁を感じられずにはいられなかった。

 

そんなこんな歩みを進めると、問題の車が浮いているであろう423号線の橋にたどり着いた。橋の上流側から橋にたどり着いたのであるが、車を目撃した場所は川の河口側のため、橋を渡る必要があった。橋の下の道はこれまで歩いてきた土手の道か、土手と川の間にあるまさに河川敷の道かの2択であった。なるべく川に近づきたかった我々は土手を下り、土手の下の道を通ることとした。土手が街明かりを遮断するからか下の道は予想以上に暗かった。ずんずんと橋に近づくと、橋の向こう側に2,3の人影が見えた。夜9時の橋の下にいる人間などろくな連中ではないので、我々の間に緊張が走った。しかし、なんてことはない、夜釣りをしている人たちであった。竿を投げる瞬間を見た時の安堵感たるや。人間理由を想像できないものほど恐ろしいものはない。理由さえわかればなんてことはないのだ。

「車が淀川に浮いていたら、あの釣り人たちは気づくはずではないか。彼らが普通に釣りをしているのならば、車などあろうはずもない」

と、いたくもっともな事に我々は気が付いた。もちろんその場では議論が紛糾したが、いずれにせよせっかく来たのだからこの目で確かめようと、橋の下を通ることにした。

街灯のない夜の橋の下を通過したことがある人であるならばおわかりいただけると思うが、とんでもなく暗い。しかも橋脚と橋脚の間に道があるため、トンネルのようになっていた。橋の影がすべての光を吸収していたのだろう。その上、この橋は国道と地下鉄の鉄道を通している橋のため、幅がかなり広い。橋の向こう側に行くには漆黒の橋脚トンネルをかなり進む必要があった。現代人の必需品であるスマートホンのライトをかざすも、その漆黒の力おぞましく、1m先がぼんやり見えるかどうかであった。釘とかガラクタを踏まないように足元を慎重に照らしながら足を踏み入れると、おかしなことに漆黒の中に影が見えた。なんだと思って目を凝らすと、椅子がずらりと並んでいた。正確に言うと影しか見えないため推測になってしまうが、椅子のようなものが、ベンチ状の長物から一人用サイズまで様々な大きさの椅子が端から端までまるでバス停があるかのように並んでいたのだ。その意味不明さに、言いようのない恐怖を感じつつも、こんな緊張感久しぶりだ、というどこか興奮も感じており、私の心は訳の分からぬカオス状態に突入していた。それが本当に椅子なのかどうかを確かめるべく、椅子と思われる陰に私と北村はスマートホンの光を重ねてあてつつ近づいた。その瞬間、ごとり、と椅子から何かの影が落ちた。

「ぎゃあああああああ」

これはもう、ぎゃあああああ、としか言いようがない。むろん我々の悲鳴である。一瞬で翻し脱兎のごとく逃げ出したことは言うまでもない。

30mほど橋から離れたところで、我々は少々の落ち着きを取り戻し、あの動いたものは何なのか審議することにした。答えはすぐに出た。おそらく猫だろうと。猫が光に驚いて動いたのだろうと。理由さえわかれば大したことはない、俺は怖くないね、なんてうそぶいたが当然もう一度同じ道を通る気は起きないことで合意形成した我々は、もう少し明るい土手の道を行くことにした。もしかしたら、あれは猫ではなかったかもしれないし、椅子でもなかったかもしれないが、昼間に行って確認するのは野暮かろう。従って真相は闇の中なのである。ところで、申し訳ないのは釣り人に対してである。夜釣りを楽しんでいたら背後から男3人の大絶叫が聞こえたら、釣りどころではない。私だったらおしっこ漏らしちゃう。彼らにはここに謝意を表明したいと思う。

 

土手の道は、橋を境に川から外れていくような構造になっていた。というのも土手の道もそのままの高さでまっすぐ行くと橋にぶち当たってしまうので、土手はそのまま、道のみが橋をよけていた。側道と同じ高さくらいまで緩やかに下り、橋の下は平たんな道で、街灯もあるという安心安全設計だった。しかもよく見ると側道からこの河川敷の道への入り口を見つけた。なんだ、ここにあったんじゃん、など話しながら難なく橋の下を通り、いよいよ川が見えると思ったのも束の間、今度は上り坂になっていた。これまで通ってきていた土手が川との視界を遮断し、再び道が土手に戻って初めて川が見えるのだ。えっこらえっこらと坂を上り、再び土手の上に戻ってきた我々の眼前には、大阪の摩天楼が織りなす夜景を背後にした淀川が現れた。思えば小池が突然淀川に車が浮かんでいると騒ぎだしてから優に1時間半、やっとこさ問題の場所にたどり着くことが出来た。我々は目を凝らした。いや、目を皿にした。血眼になった。淀川の水面は大阪の美しい夜景をキラキラと反射させているだけであった。

 

まあ、こんなもんだよね。しかし一体あれは何だったのだろうと小池が首をかしげていたが、我々は家路につくべく、来た道を折り返すこととした。すると、前方に人影が見えた。橋の手前の土手を登っていくところだった。しかし、この土手の先には道などなく、おそらく背の高い雑草が生い茂っているだけのはずである。どうやら中年の夫婦のような2人組であった。夜景でも見に来たのかな、なんて横を通り過ぎようとした時、側道からジャケットを着た4人組の男たちが河川敷に入ってきた。

「レッツゴーー!!」

先頭の男が拳を掌でたたきながら謎の雄たけびを上げた。何がレッツゴーなのか分からないが、男たちからは何かほとばしる勢いを感じた。あ、そういえば我々もゴルフ帰りのためジャケットを着ている。ジャケットを着た男たちが河原で遭遇したら何が起こるか。当然構想である。息まく若いギャング集団は血気盛んな事は言うまでもない。暴力のカタルシスの道具にされてはかなわないと、そそくさと橋の下を通り過ぎ、やり過ごした。追いかけてはこないかと振り返ると、なぜか彼らもまた、その先に何もないはずの土手を登っていった。あんなに気合を入れて登った土手の先には一体何があるのだろうか。そして中年の夫婦と思われる人たちと彼らの関係は一体。

 

淀川の夜には様々なミステリイが潜んでいる。もしも機会があれば一度足を運ぶことをお勧めする。

 

次回は東京の不動産屋。テーマはミステリイ。

 

今回はここまで。

 

文責おがさわら(大阪、28歳)