俺はなんばんぼし

釣具屋と不動産屋の

第25回「不眠による不眠の不眠のためのヤクルト」

nem-ur-e-n-ai ≒ ねむれない

眠れないのだ、最近ね。と、会社の同胞に話をかけたところ、乳酸菌だよ乳酸菌、就寝前にヤクルトです、と言う。
乳酸菌がどうして眠りに関係するのだろう、なんて疑問は持っちゃいけない、そんなものは学者が考えてくれる、俗人は行動あるのみだ。

帰り道、熟語で書けば帰途、俺はヤクルトを10本買い求め、マインスイーパーを遊びながら10本飲んで布団を被った、するとどうですか、眠れないじゃないですか、ななななんで? 考えられることとして、まずこのヤクルトには乳酸菌が含まれていないということ、でもそんなことある? ヤクルトのミスか? 製造の、工程上の抜けか? しかし俺は密かにヤクルトに対して恩義を感じている、というのは定職に就かずにいかがわしげなゴースト書評を書いて売って口に糊をしていた頃、俺は空き家となっている実家にひとりで住んでいたが、日々の話し相手はヤクルトのおばさんだけだった、玄関先、俺は毎日買ったよ、ヤクルトとソフールって青いヨーグルト、俺はおばさんのおかげで会話の方法を忘れずに済んだ、そう、だからヤクルトの責任にはこれ、したくない。感情的な理由。
次に、俺の身体が乳酸菌を受容しない、そういう可能性があるんじゃないか、いわゆる個性の問題だ、アレルギーとか様々あるしね世の中には、色々あるし人生も、いろんな人がいる、思えば俺は幼児の時代から個性だ個性だと大人たちから言われて育った、ダイバーシティだ、個性の時代だ、あなたもわたしも尊重しよう歓迎しよう敬い崇め奉ろう、すばらしき多様性、十人十色百人百色千人千色、1億総個性時代、70億の夢、140億の瞳、間違いなく狂う、俺の身体はそういう個性の時代に合わせてなんとか無個性にならないように内臓から改革を始めたのか、というと多分違う、ヤクルトのおばさんに話が戻るが、おばさんことミス・ヤクルトはこう言っていた、毎日継続するから効果があるんですだから毎日飲まなきゃだめよ、あの時俺はミス・ヤクルトの言葉をただの営業トークなのだと半ば決めつけていたが違ったのか、もしおばさんと出会った頃から変わらずにヤクルトを飲み続けていたとしたら、その継続の度合ははっきり申し上げて半端ではなく、乳酸菌にしかり応える身体になっていたはずだった、それを中途でよしてしまったから乳酸菌の効果を感じられない不感の男になったのだ、個性の時代に合わせたとかそういう話では全くない、ミス・ヤクルトの言葉を信じていなかった自分のせいだといえる。


そういえば自己責任の時代でもあるしね・・・
ヤクルトは毎日飲んだ方がよいね・・・

次回はおがさわら、「江戸っ子 おがさわら」です。うふふふふふふふ〜