俺はなんばんぼし

釣具屋と不動産屋の

第ωⓚ回「2021年2月26日 部屋およびベストオブ花畑について」

人と話しているとそれぞれが住んでいる町や場所に話題が及ぶことがある。この時、あなたのお家はどこですか、と聞かれることがあるが、困る。家ではないのだ、自分が住んでいる所は。てゆうかあ、住んでいる、って口にするのもなんつうか変な感じがして、私はたまらない、ってゆうかあ。というのも、自分が普段日常生活を営んでいる場所はアパートだかマンションだか知らんが、とにかく他人から借りているものであり、借りているものに「自分、ここに住んでます」と言うのはなんだか申し訳ないような気持になってしまって、住んでいる、という感じになれない。また、借りている場所も一軒家などではなく、でかく無機質なコンクリートの塊の中に区画形成された穴倉のごときスペイスである。あなたのお家はどこですか、という質問に対して「いや、家には住んでないんですよね、部屋を借りているんですよね」などと言うと、会話にひずみが生まれて申し訳ない気持になるので、正直な思いを吐露することができない。そういうわけで、困りながら生きている。

部屋を借りているとさらに困ることがあり、例えば自分の部屋には猫がいる。猫なのにシマリスなどという名前で呼ばれて不憫な奴だが、まぎれもない猫なので彼女の爪は非常に鋭い。狩るべき野良鼠もいないため、代わりに玩具鼠で日がな遊んでいるが、玩具とはいえ然るべき鼠らしさを兼ね備えた玩具である。さすが日本の会社がつくった玩具鼠だなあ、もはや鼠だなあ、まあ作っているのは外国かもしらんけど、と手に取ってその意匠にほれぼれとするひと時もあるほどに玩具の鼠は鼠のごときなので、これで遊んでいるうちに野生の魂が揺り起こされる瞬間がシマリスに訪れる。そこからはもう、まるでジャッカルのようなハンターと化すため、彼女の爪も自然とむき出しがちになり、自然と周囲たとえば壁紙とか床とかが傷つけられていく。傷つけられた壁紙や床は基本的に借主の責となる。借りているものを返す時には元に戻さなければならぬ。四字熟語では原状回復と書く。賃貸借の、まあ基本と言ってよい事柄だ。そんなことも知らないシマリスは、石膏ボードを露出させても頓着しない。そういうわけで、困りながら生きている。

 

さきほどベランダに出たら中天に月がのぼっていた。おぼろ月であった。おぼろ月、という童謡がシナプスを走った。小学生の時分に音楽の授業で習った記憶がある。しかし歌詞が一番しか出てこない。
菜の花畑に入り日薄れ 見渡す山の端かすみゆかし 春風そよ吹く空を見れば 夕月明かりてにおい淡し

これが一番なのかどうか自信がないがそんなことはどうでもよい。『におい淡し』とは何のにおいなのだろうね? あ、菜の花か。菜の花なのか? 菜の花のにおい。私は感じたことがない。おぼろに明るい夜の道。はるかまで見渡せる菜の花畑。それを想像する。想像しようとしたができなかった。自分の記憶回路では、眼前に果てしなく続く菜の花の景色はおろか、TVなどの映像ですら検索できないようである。代わりに、洞爺湖の高台で見た一面のそば畑が思い出された。霧雨と小雨の中間のような天気だった。そばの花の白はより白く、遠くかすんで曖昧に続いていた。あれはいまだに自分の内のベストオブ花畑だと思っている。そば農家の人は花畑だとは思っていないだろうが。

足先が冷える日がここ数日続いているものの、たしかに春を感じるような気もする。

 

文責:不動産屋