俺はなんばんぼし

釣具屋と不動産屋の

第ιЖ回「2021年2月28日 歌うオバン」

少年アシベに一話だけ登場するキャラクターがいる。その人はオバンなのだが、近所の人にあいさつをしても無視されるのだ。彼女は両の眼から涙を流して言う、「わたしは何も悪いことなどしていないのに、みんなが私に冷たく接するのです」。その夫が言う、「気のせいだよ」。そのオバン答えて曰く、「そうね。おうたでも歌うわ」。「気のせいだよ」などとアドバイスにもなっていないような言葉で立ち直る彼女の立ち直る様に、私は「オバンよ、そんなに気丈ならいちいち泣くな」とオバンに言いたくなるが、そんなことはどうでもよく、問題なのはおうたを歌ってしまうことだ。歌うな、オバンよ。

人は嬉しいことがあったり楽しげなことがあったりした時、つまりポジティブな気分になっている時には歌を歌いたくなるものだ。という一般論は判らんでもない。確かに心が解放され、口まで開いてそこから旋律が生じるのはこれ、自然なことと思う。自然なこととは思うが、しかし。

このところ、というかずいぶん前からなのだが、隣の部屋からおうたがよく聞こえてくる。アパートやマンションの部屋つうもんは、階層によってレイアウトが異なることもあるのだろうが、同じ階ならたぶん変わらないだろう。私が借りている部屋はいわゆる2DKという間取りで、それぞれ3つの小部屋に分かれており、隣も同じ部屋数と思われる。自分方ではそのうちのひとつを書き物やなにやらをする作業部屋として使っているが、ここに隣接するのが、おそらく隣人のリビング的なルームなのだろう。おおよそPM7:00~22:00にかけて、おうたが聞こえてくる。声から察するに、どうやらオバンである。
「聞く」と「聴く」は違う意味なのです、前者が意図せずとも耳に入ってくる音声を感じることを指すのに対し、後者は意図的に、積極的な姿勢でその音声を感じ取ろうとしているんですのよ、ほら、心という字がはいってござあすでしょ。などという講釈をどこかの何某から受けたことがあるが、この場合、圧倒的に前者である。聞きたくもないのにオバンのおうたを聞いてしまう。状況はけっこう苦痛っていうか、はっきり申し上げてめちゃめちゃしんどいのだ。別に下手なわけではない。むしろ、一般のオバンとしてはわりかしうまいのではないか。とはいえ、やはり強いて聞かされるのは嫌なのであって・・・。
しかもこのオバン、女友達とTELしてるのかTVでも鑑賞なさっているのか知らんが、よく笑う。しかしその笑い声というのが、ぐふふふ、と肥えた中間管理職のような声で、なんというか、聞くに堪えぬ。

そうしてみると、さきほど苦痛だなどと書いたけれども、ぐふふに比べればおうたの方がずっとマシに思えてくる。でも私は思ったね、これはもしかしたら、オバンの策略なのではないかと。おうたの立ち位置を相対的に向上させることによって、聞きたくないけれども歌くらいなら我慢するか、と私をして思わせることを狙っているのではあるまいか。どうなんだ、オバンよ。

しかしそれをオバンに追及する度胸が私には無い。どうせなら、頼むから歌ってくれ、あんたは歌い続けるべきだ、歌姫だ。と言わせるくらいに歌唱力を向上させてほしい、と思うのは隣人の身勝手というやつなのでしょう。
近所づきあいは大変であります。