俺はなんばんぼし

釣具屋と不動産屋の

第βБ回「2021年3月1日 散歩で川」

昼過ぎに散歩に出た。ベランダで煙草を吸っている時はあまり感じなかったが、玄関から外に出てみるとわりと寒かった。しかしもう玄関は施錠されてしまっている。解錠する、靴を脱ぐ、上着を取る、上着を着る、靴を履く、施錠する、という工程を脳みそで想像するや、うんざりしたのでそのまま階段を下りていった。
歩き出して隣の家人に、どこへ参られるつもりか、と聞くと、特にこれという目的地はござんせん、と返してきた。しかしそう聞いていながらも自分には行ってみよかな、と思っていた場所があるので、そこめがけてずんずん進んだの。

道すがら、梅園に寄る、見知らぬオバンから梅についての講釈を聞く、よさげなローカルスーパーを発見するなどの出来事を経て、目的地についた。川。ほとりに立てられていた案内板を見やって、左に進んだ。浄化センターらしきものが川の端にあるようだったので、そこを目指した。浄化センターで川が途切れているということは、この川はなにかしら浄化されてからこうして流れているの? そしたら、これは川は川でも人口川に分類されるのかしら。なんてなことを浄化センターの人に聞いたら教えてくれるのだろうか。などということを家人に話していたが、家人はそこらにいる犬だのおばあちゃんだのを注視している方が面白いらしく、浄化センターについては生返事であった。それにしても、犬がたくさんいた。そして犬を連れているのは、たいていおばあちゃんかおじいちゃんであった。彼ら彼女らは福福として自らの犬を愛で、他人の犬を愛でていた。河川敷は犬の社交場であり、老年世代のそれでもあるようだった。

やがて、目の前に天をつく塔が現れた。遠くから見ても頑丈そうなたたずまいである。スカイツリーな東京タワーなどとは異なる、質実剛健な感じが伝わってきた。混凝土製と思われた。その高さは、すぐ近くに立っていた15階建てマンションの4棟分はありそうだった。家人は、あれはごみ処理施設ではないか、と言った。塔のふもとに着いて案内らしきものを見ると、果たしてその通りであった。区の清掃工場。平時には工場案内もやっているらしいが、今はこういう状況下なので、お休みしているという。家人はたいそう残念がっていた。清掃工場の内部に興味を持っているなどとは知らなかった。家人は楽しみができた、と言って前向きである。

清掃工場をあとにして、ついに浄化センターに行きついた。が、それらしい建物の周囲には高い柵がぐるりとあり、関係者外は入れないようであった。結局、この川が人口川なのかどうかは不明である。

帰路は反対の岸に渡って歩いた。すると、さきほどまで歩いていた対岸の道とは趣が異なっていた。まず、道が舗装されていない。案内板も平成初期に立てられたような、なんだかぼけた感じである。チンベや街路灯のようなものもなく、木々はいまだ蕾を開いていない。地味な道であった。あちらの岸には幼児や小児をつれたハミリーや男女の若人らが多くみられたが、こっちの岸にはあまりいない。この格差はなんなのだ。でも、私はハミリーや男女の若人が苦手なので、こっちの岸の方が好きになった。

 

2時間にも満たない散歩だったが、すぐ近くにあっても知らないことだらけなのね、とそのようなことを思った。都会の密度は人口以外も高いようである。近く、書店で地図を買って、散歩で歩いた道をなぞることをしてみたいと思う。

文責:不動産屋

P.S. 1月半ばからレゴに遣ってきた金高が本日96万円に達した。こんな短期間にこれだけのお金を遣ったことがないので、その快感と重圧っぽいなにかを強烈に感じている。