俺はなんばんぼし

釣具屋と不動産屋の

第Жχ回「2021年3月27日 春の雨と書いて/物理を知らないので」

沛然と雨が降っている。春雨、というやつだろうか。
そういえば、なぜ春雨という食べ物はその名がついたのだろう。あれかね、まっすぐな形状、半透明の外見が天から落ちてくる雨の様子に見えるからか。でも、春に限らず夏の雨も秋のそれも、春に降るのと同じように直線的で半透明だ。それなら、別に春でなくてもいい気がする。
しかし、春雨は厳然と「春雨」であることは揺るがない。何か由来があるはずだと思う。希望としては、雪ばかり降っていた冬が終わってその年初めて雨が降るのを見る時、春の到来を感じるとともに降雨が久しぶりなものだから雨を凝視してしまって、その形状が印象的なのだ、みたいなエピソードがあってほしい。

まあ春雨の由来は判らんが、考えてみると写真でみる雨は不思議だナーと思う。
肉眼で見る時は直線的に見える雨も、時間を細かく刻んでゆくと朝露のような、丸みを帯びた形をしているのだと思うが、写真に見る雨はだいたいが直線的である気がする。時間を切り取るのが写真であれば、水滴のような雨が写るはずなんじゃないかな。なんじゃないかね。
それだけ速く雨粒が落ちている、ということなのか。カメラの性能の問題なのか。はたまた、雨は雨粒で落ちてくるのではなく、空中から落下を続けるに従って流線形に近づいており、地上近くで自分らが見る時には本当に春雨のような形になっているのか。

自分が無知なだけかもしれないが、っていうか実際無知なので、不思議な気持でいっぱいです。
まあhttp://wwwで検索すればなにかしらなんとなく分かるのだろうが、なんとなくしか分からなそうなので、明確に理解したいのであれば理学部に行くなり図書館に行くなりした方がいいだろう。どっちがいいだろうか。理学部に行くことはできる、といってもただ物理的に移動するだけの意味合いでしか行けず、学生の権利を以てお偉な教授の講義を聞くことは今のところできない、大学入試に合格する必要がある。合格するためには時間および金、そして多大なる努力を必要とされるうえ、自分の脳みそだと理系学部生の資格なしと判断される可能性が大いにある。よって、図書館に行ってやろうと思います。自転車で行くぜ。春だし。

 

文責:物理をやりたい不動産屋