俺はなんばんぼし

釣具屋と不動産屋の

第ηт回「2021年4月8日 本能的個体繁栄」

深夜テンション、という言葉を聞くようになったのは大学に入ってからだが、今まさに深夜なのでテンションが深夜テンションだ。深夜テンション時にはなにかしないといけないような気がして、そわそわとひとりで勝手にしていたのだが、何もすることがないと気づいて自慰行為いわゆるオナニーを行う、という結果に至った。その結果に至った結果、次のような考えが頭脳にわいた。

人は子孫繁栄など望んでいないのではないだろうか。

オナニーをすると、男性は子孫のもととなる精子を放出するが、その精子は本来の役割を遂げることなく死滅する。これでは子孫が繁栄しない。にもかかわらず世の多くの男性はオナニーをする。理由としては気持いいから。それしかないだろう。人が子孫繁栄を目的として生きて存在しているとすれば、勿体なくてオナニーなどできないのではないか。
人に限らずあらゆる生物の原則は自らと同じ種を維持存続させることにあり、この原則を守るために本能がある。本能は三大欲求としてよく次の3つが挙げられる、すなはち食欲、睡眠欲、性欲のことだが、これらすべて、種の維持と増殖が目的なのだ。しかし、どうやらそれは違うらしい。
食欲と睡眠欲は個体を維持管理するためにあるものだと思っていた。個体がなくなれば次の個体、子孫をつくることができないからである。そして性欲は次の個体、子孫をつくるためにあるのだと思っていた。その行為がなければたとえ個体を維持管理できていたとしても、次の個体、子孫が現れないからである。
しかし、次の個体、子孫をつくるためにある性欲は、オナニーによって一時的に消える。オナニーが連続すれば、性欲もない状態が続く。種の維持も繁栄も増殖もできない。でもそれでもいいのだ問題ないのだ。気持がいいのだから。

食欲が満たされた喜び自体を他人と分ち合うことはできない。睡眠欲についても同様である。そして、性欲に関しても同じことである。
そうなるとどうなるかというと、三大欲求と呼ばれているものは生物が種の拡大や栄成のためにあるのではなく、ただひたすらに個体が満足するために存在し機能しているのではないだろうか。自分が属する家系、くらいのことまでは考える人もいるだろうが、その想いははっきり申し上げて自己完結するものであって、個体が満足することの延長線上にあると思う。
他の動植物がどう思っているのかは知らないが、ホモ・サピエンスとしての種を維持していくことを意識して子孫を残している人がいるとは、なぜか思えない。これは極端な話かもしれないが、とにかくおそらく、自分が関係していると強く実感できる範囲が狭くなっている。

 

絆だの協力だのシェアだのといった言葉が連呼されるだけの世界をみていて、以上の状況は日増しに強化されている気がする。そういう言葉が人の心に響くように感じられ、志向すべきもの理想とすべきものとされればされるほど、実際はそれらの言葉から遠ざかっているんじゃないか。

 

文責:深夜の不動産屋