俺はなんばんぼし

釣具屋と不動産屋の

第88回「ハウツー おっさんとのすれ違い」

ぶっちゃけて申し上げると、世知辛い世の中である。
ところで、世知ってなあに? といったクエスチョンも頭上に浮かんでやまない今日この頃ですけど、とにかく世知が辛いのである。
過日。
自分は毎朝枚夜、自転車で一級河川を越える為に橋を渡っているのだけれど、橋の上にはもちろん自分と同じやうに自転車で往来している他人がいる。
自転車を漕ぐ速度は人それぞれで、そんなに急いだら危ないがなと思っちゃうやうな速い人、もちっと生き急いではくれないのかと思っちゃうやうな遅い人、実に様々に人生をやり過ごしていて。

今朝、やたらと遅い人が眼前にいらっしゃって、おれ、焦りを感じたのね。惰眠のツケで遅刻をしそうで、結果的に遅刻したのだけれども、とにかくその時は遅刻をかましそうで周章狼狽していたの。けれども目の前のおっさん、遅きこと蝸牛のごとし。
それでおれ、ベルを鳴らしたのね。ちょいと脇に寄いてくださいませんか、って意味合いで。橋の上の歩道は狭いが、左右の片方に寄れば自転車2台は通過できる余裕はある。なので、おれはベルを鳴らしたの、2台で瞬間的に並ぶことによって平和裏に収めましょうよ、って意味合いで。そしたら。
おっさんを通り過ぎる3秒間くらいの刹那があった。おっさんは、なんだてめえ、と言った。
なんだてめえ、と言われて、「私はどこそこの何某と申しまして、この度は数奇なめぐりあわせによりあなたとこうして奇跡的な時間と空間を共にしているのであります、もしかしたらこれが邂逅なのかもね。」などと答えられるやうな器量・度量をおれは持ち合わせておらず、ひとまず無視してしまった。

おっさんは横をおれが通り過ぎることでみずからが迫害されたやうな気持になってしまって、それでレジスタンスの心意気で「なんだてめえ」と口走ったのだと思われる。おっさんを迫害するつもりは牛の毛ほどもなかったのだが。
しかし、おっさんは悪くない。これすべて、世の中が悪いのである。社会が悪いのである。政治が悪いので÷。おっさんも大方、この朝方から不快指数の高い気候のさなか、家族のために往来へ繰り出ねばならず、ターゲットのない漫然とした怒りを抱えていたのだろうと思われる。おそらくおっさんも精神的あるいは金銭的あるいはなにかしらに切迫していなければ、花をめで鳥とうたい、争いに悲しみ不実を嘆き、万札に付け火して「これで明るくなったらう」などと宣える心持だったのだろうが、おっさんは精神的あるいは金銭的あるいはなにかしらに余裕がなかったのだろう。世間を呪っていたのだと思われる。世知の辛い世間を。

果たして、おれはどうすればよかったのだろうか。おっさんを通り過ぎなければ遅れる。おっさんを通り過ぎれば怒られる。遅れれば信用を無くする。信用を無くすれば馘になる。馘になれば世知辛い。いったいどうしろというのか、おっさんは。
サントリーのアルコールを摂取しつつ愚考したところ、あそび・笑いなのかな、と思った。おっさんの傍らを通過する時、あそび・笑いがあれば、おっさんも徒に怒髪天をつくことはないのではないか。

じゃあどうすればいいのか、というとまずベルね、この金属的・無機物的なサウンドがよくない。おっさんは人のマインド、ハートに飢えている。そこへ金管、耳をつんざくサウンドをもってしても逆効果である。
なので人のマインド・ハートが感じられるサウンドをもっておっさんに呼びかけなくてはならないのだが、たとえばベルの代わりにボイスを発する、というのはどうだろうか。「ちょぅっとすみませんね~」「失敬失敬」「あの~」などといったヒューマンのボイスがおっさんを癒す。ハンドルの手元の冷たいベルの代わりに、スーパーヒトシ君のやうな人形を設置して、それからボイスを出すのだ。うーむ。どうだろう。けっこういける気がするが、どうなのだろう。おっさんの意見を聞いてみたいところである。

しかし、今ひとつ足りないなと思うのは、ボイスの発信源が人間の人形ってどうなのだろうか。人間がほかの動物に喧嘩をふっかけるシーンというのは思い浮かばない。人間は人間としか争わない。争えない。なんたら原人の時分は異種間の闘争があっただろうが、今は令和、ホモサピエンスが他のすべてを駆逐する時代である。人間は他の動植物に対して喧嘩をふっかける時代ではない。話にならないと思いあがっている。そこに目をつけるのが効果的ではないか。

ということは、ベルの場所に人間以外の存在を据え置くことが効果覿面であって、たとえばチワワ。これに「なんだてめえ」と言うおっさんは、よっぽど極悪であるか近眼である。チワワのほか、ミーアキャット、ハリネズミ、仔猫、仔犬、ハムスターなどでもよい。こやつらはキュート・ファンシーで鳴らしている連中だが、はっきり言って人間以外であればなんでもよいと思われる。人間以外に「ちょぅっとすみませんね~」と言われるだろうな、と日頃身構えているおっさんはおそらく皆無で、意表を突くことができるからである。だから、エビ、イモリ、ヤンバルクイナ、ヌー、イエティ、トムソンガゼル、プラナリア、子ぎつねヘレン、モルモット、ミジンコ、シャンシャン、ゴマちゃん、みなしごハッチなどでもおっさんの「なんだてめえ」を抑止することはできるはずだ。

なお、通り過ぎる時にこうした者らによる声かけをされても、それは刹那の間だからおっさんは反射的に「なんだてめえ」と言ってしまうかもしれない。おっさんがそう口にした時はすでに自分の自転車はおっさんを半ば過ぎて、自転車の後方しか主な視界にないだろうと思われる。そこで、こうしたマスコットは自らの後部に据えるのが正解なのかもしれない。おっさんが「なんだてめえ」と言いながら荷台に設置された子ぎつねヘレンを見つめる時、少なくともその心中に「?」を植え付けることはできそうな気がする。

別にあそび・笑いではない気もしてきたが、そういう意想外な状況は世知辛い世の中にあった方がいいのではないかと思うけふこの頃。

文責:不動産屋

P.S.
10年くらい聞いていなかったGo!Go!7188をたまたま聞いたのだが、いつになっても実にナイスだと思う。
youtu.be