俺はなんばんぼし

釣具屋と不動産屋の

第92回「故郷愛憎」

見慣れた電話番号から着信が入っていた。父である。僕は父のことを電話帳に登録していない。電話番号を記憶しているから、なんとなく登録しないでいいや、とやってきている。不孝者だろうか。
電話に出ると、今年の盆帰りはすべからず、とのこと。実家のある北関東の片隅でもcovid-19が流行っているそうだ。近所や職場でも感染者・死者が出ているらしく、そのような状況で東京から人が来たのでは、確かに落ち着かないかもしれない。昨秋に爺が死んで、その初盆だったから行きたかったのだが。

その代わりにはならないのだが、珍しく出張が入って札幌へ行ってきた。大学と働きを合わせて7年弱過ごした土地で、自分にとっては第2の故郷と言ってもよい街だった。が、2年ぶりに行ってみたら色々と変わっていたね。
バイトで入っていたラーメン屋のおやじが自分に気付かなかった。
教授が膵臓を病んで老け込んでいた。
あちこちで再開発が進んでいた。
道がこんなにもでこぼこであったことに初めて気がついた(根雪はアスファルトを溶かすのである)。
狸小路のポルノ映画館がなくなっていた。
第2の、などと勝手に修飾してセンチになっていた僕が悪いのだが、故郷の影が限りなく薄くなったようで、それは時の流れの仕業にほかならず、宇宙的な規模で考えれば何ということのないハナクソ以下の事象・現象・感傷であるのだが、自転公転を感じられぬ卑小な存在である僕にとって、それは割とさみしいものだった。

ニュー・シネマ・パラダイス」という映画で、故郷を旅立つ主人公に映画技師のおやじが囁く台詞。
「故郷はお前が帰ってきたときにはもう、お前が知っている故郷ではない」
「親もわたしのこともなにもかも、すべて忘れろ」
「なにがあってもここに二度と帰ってくるな」
といったような台詞。
細部が違っているだろうが、だいたいこのような意味の言葉を最後に、二人は永遠に別れた。


故郷はおそらく容易く帰っていい場所ではない。
ぼくらの先祖はアフリカに生まれたが、故郷を捨てに捨てて、全世界に拡がった。
タンポポは遠くで芽を出すためにふんわり綿毛がついている。
ぼくらは常に、故郷に引き寄せられてはならない。
今回の盆帰りのドタキャンも、そういう意味で却って都合がよい。不孝者の度合いを情勢に紛らわせてしまえるのだから。

文責 不動産屋

P.S. 狸小路のポルノシアターは移転したらしい。