俺はなんばんぼし

釣具屋と不動産屋の

第141回「飲酒の口実(3) 二級の新道」

足首が痛い。右の足首の関節、いわゆる足首が痛い。左とちがって私の右の足首はなんでか知らぬが時々痛み、これはあれかな、捻挫がへきになっているのかな、とかそういうことを思うことがあるが、湿布なんどの医薬品を使用しても、いっこうに良くなる気配はないのであって、そうするとこれは捻挫ではないのではないだろうか、とするとなになのだろう。と思って思いつくことには痛風、というおっさんがよく陥る症状なのだが、確かに30代も半ばにさしかかろうとしている私は立派なおっさんだ。そして日々欠かさずに飲酒をこれ、している。痛風を患うおっさんは大抵、酒を飲んでいる。ということは、私は痛風なのかも知らん。これを演繹という。
再来週、某大手ドラッグストアで店長をしていた経歴を持つ先輩人と会う約束があるので、その際に聞いてみようと思う。

そういうわけで今日もまた飲酒しながらこれを書いているが、今日の飲酒の口実として挙げたいのは、帰途にある橋の途中に新設された新道である。この道は一級河川に架かる橋の途中に突如として現れたのだが、その道は一級河川に並んでなんとなく流れている二級河川の川沿いに続いている。自分は前から、この二級河川の川沿いをふらふらしてみたいな、と思っていた。川は好きだし、河川沿いも好きだし、一級よりも二級の方がマイナーなので人も少なさそうな感じがあって、そういうところが好きだ、二級河川に対しての個人的な想いとしては。
しかし、新道ということで、新、というその一字でもって、人々がなんとなく群がることは容易に想像せられ、混雑した二級河川というのは意味が分からないため、新道に曲がれずにいる。
とはいえ、今日をもって二級河川に沿った河川敷へと続く新道がこれ成ったということで、悦ばしいことである。ハッピーである。そういうことなので、今日も焼き酎を飲むのです。

不動産屋(33)

第140回「飲酒の口実(2) ブロッコリースプラウト」

会社で肝臓が悪いヒトがいて、肝臓には何の食べ物がいいんですかねー、という話をしていたら、横にいたふくよかなおっさんが、肝臓にはブロッコリースプラウトだよ。と言ってくれた。おっさんによると、肝臓機能の改善向上にはスルフォラファンなる栄養素が有効らしく、ブロッコリースプラウトにはこれがふんだんに含まれている、そうだ。それを聞いた肝臓の悪いヒトは、あれはなんかカンガルーの餌っぽいですね、とコメントした。カンガルーの食生活を自分は知らない。とにかく、肝臓にはブロッコリースプラウトがいいらしい。さっそく、会社からの帰途、マーケットでこれを買い求め、帰って食した。大根の味がした。
そういうわけで、肝臓によい食べ物に出会ったことは慶賀すべき出来事である。ということで喜ばしいことなので個人的に5月28日をブロッコリースプラウト記念日と称し、本日も飲酒する(今現在している)。

不動産屋(33)

 

追記:ブロッコリーに関する個人的思料
カメラマン(というかカメラウーマン)の実妹を持ちながら写真芸術にはいっこうに造詣が深くない私ですが、五味彬というカメラマンの写真集を所持している。確か買い求めた時の値段は、15,000円であった。298円の束葱を買うかどうかでマーケットで15分くらい悩むのに、この写真集は7秒くらいで購入を決めたのであった。その原動力はエロスである。女人の赤裸々な姿態を撮影したフォトアルバムで、下賤な下心を以てして私はこれを購入したのであった。
自分はネットショッピングでこれを買ったが、実際に手元に届くまで一日千秋の思いで日々を過ごした。これが届いた時のフィーリングはいまだに覚えている。チープな茶色い封筒に包まれてそれは届いたが、なぜこんなものに俺は諭吉と稲造を費消したのだろうか、と少し思われた。そして包みを破いて果たして、これを開いてみた。したところ。
まったく扇情されない。
なぜなのかは分からないが、エロ本とかで十分に搔き立てられる下卑ていて根源的な欲求がちっとも起こらないのである。この現象はなんなんですかね、写真芸術だからなんですかね。

そんな感じで当初の目的を果たせていない写真集なのだが、女人の裸体よりも興味を惹かれたのは彼女たちのプロフィールであった。
巻末に、被写体となった彼女たちの基本情報すなはち、名前、年齢、身長体重スリーサイズ、出身地、などが参考資料として掲載されていて、その中に食べ物の好き嫌いの項目があった。おそらく五味氏が彼女たちと対峙する際、その人となりも加味してファインダーをのぞきたかったからだと思われる。たいていの女人は、ピザだのケーキだのパイだの肉だのが好きで、同じようにピザだのケーキだのパイだの肉だのが嫌いな食べ物として挙げられていた(相対的だねー、と自分は思った)。自分はこれを、ふーん、という気持で眺めていたが、ある女人の情報を見て刮目した。
この女人の好きな食べ物はブロッコリーである。そして、嫌いな食べ物はブロッコリー以外のすべて、である。そう書かれている。

彼女はいったいどういう人生を歩んでいるのだろうか。人間以外の動物であれば、これは分かるような気がする。コアラはユーカリしか食べないし、パンダは笹しか食しない。馬や牛も草を食ってるだけであんなに大きな体になる。それは、その動物たちが特定のものを食物として快適な心身を作れるように身心の構造ができあがっているからだ。一方、人間はミネラルだのビタミンなんたらだの鉄だの亜鉛だのポリフェノールだのといった、様々種だねの栄養素を摂らなければ健康体でいられない、とされている。
しかるになんですか、この女人は。ブロッコリーしか好まないのであり、おそらく彼女の好きにさせておいたら、ブロッコリーしか摂取しないのである。そんなブロッコリーに傾斜して、人間が健やかに生きていられるだろうか。いられないに決まっている。

にも拘らず、彼女がここまでブロッコリー固執・執着するには、彼女なりの人生背景があったのだと想像することは難くない。
例えば、
「彼女の生家はユーラシア大陸中部に分布するチェルノゼムを土壌とする地で先祖代々農家であった。19世紀ごろまでは第一次産業の比重が大きく、豪農として地域にみなされていた彼女の生家は繁栄を極めたが、ワットによる蒸気機関の発明到来とともに産業構造が一変し、農家の収益構造にも少なからず未曾有の影響がもたらされた。彼女の祖父は楽天家で、既存の作物の生産を気ままに続けていれば万事OKな時代を生きていたが、実父が世帯主となる頃には事情が変わっていて、従来の作物生産だけでは苛烈化する農家同士の競争に勝つことはできなくなっていた。時代が変わったのである。実父はそれまでのメインの作物ジャガイモだけでなく様々な新たな作物、アーティチョーク、パセリ、かいわれ、朝鮮人参、てんさい、ソラマメ、唐辛子なども育成するようになっていたが、その中でも目を瞠る利益率を誇ったのがブロッコリーであった。時代が少しずつ科学に傾斜するに従い栄養学も日進月歩の発展をみせ、栄養素が人々の巷間に叫ばれるようになっていたが、ブロッコリーはあらゆる蔬菜の中でも特に完璧な栄養素を備える野菜だったということが判明した。今でいう、スーパーフードである。楽天家の父(祖父)の背中をみて育った実父は割と実直・慎重・堅実な性格をしていたが、ウォトカを飲んでいたある日の晩、なんだか万能感にあふれた実父の姿を彼女は見ることになる。実父は言った、「これからはなんといってもブロッコリーですよ、栄養素が半端ねえから。北海道は小樽にはニシン漁で大層儲けた御仁の家がニシン御殿と呼ばれているそうですが、私もここらで一丁、ブロッコリー御殿を建てて差し上げますよ。向後の観光産業にも益をもたらすでしょう」。そうしてウォトカに毒された脳みそで考え、アーティチョークやてんさいの栽培を一夜にしてキャンセルし、すべての耕作地の作物をブロッコリーにするため、種商人にブロッコリーの種子を注文完了してしまったのでした。その頃、ブロッコリーは高価な作物で、日本円でいうと一株あたり5000円ほどで流通していて、有閑マダムは株ごと買えたが庶民は3センチくらいの株の小枝みたいなものしか買えなかったがその栄養素ゆえに万民に求められていた。しかし、実父がブロッコリーの生産に全精力を傾けたため、市場にはブロッコリーがあふれかえり、じねんと売買単価が下落し、彼女の家の収益も減衰していった。実直・慎重・堅実な実父はどう思っただろうか、この状況を。彼は根が実直なだけに、こうしたトラブル・イレギュラーに耐性がなく、日に日に募るプレッシャーに耐えるためウォトカの飲量は右肩上がりとなり、結句、心身を病んで齢40半ばにして早世してしまったのである。残された家族は実父の残した農場を数年はなんとか維持していたが、核家族化などの社会現象により長男が去り、次男が去り、三男も去った頃、農場に残されたのは彼女と彼女の母と使用人だけであった。女手ふたつで、っていうか男女問わず三人ぽっちで農場を再建することは難しく、日々の支払いにあてるため農場は少しずつ売りに出され、気づけば一寸の土地も彼女たちには残っていない状況であった。それから間もなく使用人には暇を与え、母娘は仕事のある都会に出てきたが、農村育ちのふたりにシティの生活はつらいものだ。狭苦しくかび臭く雨漏りのするアパートメントに住まいし、大家の家賃の催促に汲々とする。そのような肩身の狭い生活がたたり、都会に移って半年後、母もまたかえらぬ人となってしまった。ひとり残された娘。長兄たちの行方は知れぬ。娘は思った、「どうして今現在わたしはこのような窮状に立たされているのか。まあ色んなことがトリガーになっているのだろうが、根本的には実父のブロッコリー至上主義が原因である。わたしは実父が憎い。しかし、愛憎は表裏一体のものであるから、そういう意味ではわたしは実父を愛しているのかもしれない、いまだに。実父を、わたしの家族の行く先を狂わせた蔬菜、ブロッコリーがわたしは憎い。そして実父と同じように、ブロッコリーを愛しているのかもしれない。ブロッコリーによって狂わされたわたしの人生をブロッコリーによって救うことができたとしたら、それは真実の救済ではなかろうか」
なんてことがあったのだろうなあ、と愚考する。
他にも2,3のシナリオは考えられるが、つくづく興味深い女性ですね。