俺はなんばんぼし

釣具屋と不動産屋の

第何回「南国にて」

今、ミクロネシアの島にいる。のは別に関係ないのだが、青い海、白い砂浜、美しいおんなたちを眺めながら以下のように思った。

因果応報、とはまた違うかもしれないが世の中には努力?と報酬の関係が流布している気がするのだが、これは割と不幸なことと思う。こんなに頑張ったのだからこれくらいは報われていいはずだ、いいことがあってもいい筈だ、このくらいは。少なくとも。せめて。最低限、こんな結果にならないと努力?というコストに見合わないだろうよ、という考えはおそらく簡単に褒められた幼児教育に始まる惰性的訓練によるものなのだろうが、悲しいことに別に努力?をしたからといってそれに必ず報いてくれる存在が結果が必ずしもあるわけではない、どうやらなさそうだ、ああやっぱり確実ではないのだなあ、と思い至る時期がある人にはあって、ない人にはなくて、その差はその後生きるにあたって大きな累積的ラグを生む。努力?が素晴らしい将来を約束してくれるはずだ、と期待して欺かれることに、人は耐え続けられるものだろうか?

自分の思ったとおりに世の中は物事は他人は川の流れは人の気持は努力?の結果は目が出ないのが常なのであれば、そう思い知った気でいることがよけいに傷つかない処世の術なのだが、そのゾーンに入ったとして果たして幸せであるかどうか、それは知らん。

第何回か分からないが緊急なる請求会議に呼ばれて、ため息

オガサワラ氏が登校しなくなってからこっち、役一年が立とうとしている。語は円環が多すぎる。という事バスラおぼつかぬ;。誤変換がおおすぎる、つまり私は今アルコールに毒されている。しかし、毒されている事実を曲がりなりにも受け入れられているということ、それが私の今のところの自家撞着だ。ってなにがですか?

さふいうわけで今日はいつもと変わらぬデイだったのだが、請求スキームの構築について緊急mtgが設けられ、私、請求関連界隈の担当ではないのだが、そのへんに落ちていた社員Aって感じで拉致されてmtgに臨んだ。したら。

日本ではこうやってるんです、って一点張り。そら、うまくいかないっすよ、あんた。てなもんで、各国には各国の商習慣、誰に習わず教えられずともその国々の空気っつうか雰囲気っつうか、そういうものが支配する環境?っていうの? そういうものを無視して請求スキーム(笑)なんて構築できるはずがないでしょうが。
って話をさる日本国請求担当女史に説明申し上げたのだが、女史は女史なだけあって史って感じで、日本国においてはこうした流れ作業にのっとって経営が運営されかつなんらの不具合なしに進捗しておるのだ、それを貴公は粗略に扱うのか、それはいかがわしいことだと思うよ、個人的には。
なんてことになって、間違いなくめんどうくさいなあ、と思って私は、あっ、別の緊急が至急で、って言って件の緊急mtgを抜けて、裏の公園に行って96円の珈琲を片手にまだうら寒い2月下旬の風に吹かれてため息をついたのであった。