俺はなんばんぼし

釣具屋と不動産屋の

第何回「南国にて」

今、ミクロネシアの島にいる。のは別に関係ないのだが、青い海、白い砂浜、美しいおんなたちを眺めながら以下のように思った。

因果応報、とはまた違うかもしれないが世の中には努力?と報酬の関係が流布している気がするのだが、これは割と不幸なことと思う。こんなに頑張ったのだからこれくらいは報われていいはずだ、いいことがあってもいい筈だ、このくらいは。少なくとも。せめて。最低限、こんな結果にならないと努力?というコストに見合わないだろうよ、という考えはおそらく簡単に褒められた幼児教育に始まる惰性的訓練によるものなのだろうが、悲しいことに別に努力?をしたからといってそれに必ず報いてくれる存在が結果が必ずしもあるわけではない、どうやらなさそうだ、ああやっぱり確実ではないのだなあ、と思い至る時期がある人にはあって、ない人にはなくて、その差はその後生きるにあたって大きな累積的ラグを生む。努力?が素晴らしい将来を約束してくれるはずだ、と期待して欺かれることに、人は耐え続けられるものだろうか?

自分の思ったとおりに世の中は物事は他人は川の流れは人の気持は努力?の結果は目が出ないのが常なのであれば、そう思い知った気でいることがよけいに傷つかない処世の術なのだが、そのゾーンに入ったとして果たして幸せであるかどうか、それは知らん。