俺はなんばんぼし

釣具屋と不動産屋の

第108回「荒川と空港」

幾日も何日も、荒川に通い続けて、というか通りすがりに立ち寄り続けてやっと気づいたのだが、荒川は空港に似ているのだなあ。深夜の空港に。
深夜の空港は、って、地方の空港はこうじゃないかもしらんが、所謂ところのハブ空港、そう、例えば羽田空港なんかだと24時間、っていうか48時間か72時間くらいの勢いで昼夜を分かたずに空港が稼動しているのであり、むかし、72時間働けますか?って標語があったね、なんてことはどうでもよいが、とにかくハブ空港は一日中、それこそ文字通り字義通り一日ぢゅう動き続けている。その様はまるでマグロのような。

そんでもって、荒川。自家と職場の地理的関係上、荒川を沿って走る高速道路が荒川に面して向こう側にうつるのね。そして、高速道路上の、低圧ナトリウムランプのオレンジの光や、トラック野郎のぴかぴかが対岸に見えるのね、そしてそれらが荒川のみなもに映えて、映るのね。

眼前にキラキラしたものが、暗闇にぴかぴかとしたものが動いている。その様が深夜のハブ空港の滑走路に似ている。また、荒川の上には特になにがあるわけでもなく、凪ぎの時など茫漠たる平野にも見える。広大な面積を誇れるものは北海道か空港しかない。凪ぎにはミナモの反射も淡く、そして揺らぎ、それは陽炎のように、あるいは逃げ水のように踊り、夜の闇に紛れつつ映えて、まことしやかにきれいである。げに。

羽田空港の滑走路に光る、なんつうのか、方向指示光? 青や赤やそんな光が光る様に荒川の水面が見えて、それを自分は今まで心知らず楽しんでいたのかもしれん、旅情を、川の流れがとめどなく流れていくことと旅先での心細さと少しばかりの興奮を腐った日常に感じたがっていたのかもしれん、と思って夜の空を見上げると満月に近い月が明るかった。今夜は。っていうかもう4時か、昨夜の出来事である。

 

第107回「身体環境および精神環境」

人間の五感(視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚)のうち、人間の記憶にもっとも深く刺さり喚起されるのは嗅覚だそうな。

だからなになのだ、とも思うが、帰途に通る建物のことが想起される。
この建物は昭和な感じの佇まいで、見た感じ笠辺哲の漫画に出てくる研究所のごときなのだが、その前を通過するたびに漢方の匂いがする。なんたら薬剤のかんたら所、という表札が掲げられており、この中ではなにかしらの薬が調合されているものと思われる。

前を通過するだけで漢方の匂いに気づかされるということは、その室内の匂いはより強烈なものに違いなく、中の人々は常日頃漢方を摂取していると同義な状態なのではないだろうか。
漢方は人体によい、と基本的にされているため、もしかしたらここの従業員はめたくそに漢方が身体に浸透していて、自然と頗る健康なのかもしれん。意図せずして、メリットを享受している。
そう思うと、一日の大半をルーティーンに過ごす環境というものはとても大事なものに思えてくる。

これは別に漢方のように物理的に体内に入るものだけではなく脳みそ、知識にとっても同じことがいえるだろうと思われ、釣り具メーカであればおのずと釣り具や魚に詳しくなるだろうし、小売に身を置けば庶民的な金銭感覚やトレンドに敏感になるだろうし、大工であれば木材供給の現状や国産と海外輸入物の事情や戸建て建築の動向に気づくことがあるだろうし、編集者だれば世間の関心や文芸の推移みたいなものにある程度精通することだろう。

そして自分を顧みるに、不動産。この環境にいてあたしは何を摂取したのだろうか。身についたことといえば、賃貸物件の退去時に取られる原状回復費用算出にあたっての交渉の粘り、くらいなもので、なんだかな。