俺はなんばんぼし

釣具屋と不動産屋の

第107回「身体環境および精神環境」

人間の五感(視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚)のうち、人間の記憶にもっとも深く刺さり喚起されるのは嗅覚だそうな。

だからなになのだ、とも思うが、帰途に通る建物のことが想起される。
この建物は昭和な感じの佇まいで、見た感じ笠辺哲の漫画に出てくる研究所のごときなのだが、その前を通過するたびに漢方の匂いがする。なんたら薬剤のかんたら所、という表札が掲げられており、この中ではなにかしらの薬が調合されているものと思われる。

前を通過するだけで漢方の匂いに気づかされるということは、その室内の匂いはより強烈なものに違いなく、中の人々は常日頃漢方を摂取していると同義な状態なのではないだろうか。
漢方は人体によい、と基本的にされているため、もしかしたらここの従業員はめたくそに漢方が身体に浸透していて、自然と頗る健康なのかもしれん。意図せずして、メリットを享受している。
そう思うと、一日の大半をルーティーンに過ごす環境というものはとても大事なものに思えてくる。

これは別に漢方のように物理的に体内に入るものだけではなく脳みそ、知識にとっても同じことがいえるだろうと思われ、釣り具メーカであればおのずと釣り具や魚に詳しくなるだろうし、小売に身を置けば庶民的な金銭感覚やトレンドに敏感になるだろうし、大工であれば木材供給の現状や国産と海外輸入物の事情や戸建て建築の動向に気づくことがあるだろうし、編集者だれば世間の関心や文芸の推移みたいなものにある程度精通することだろう。

そして自分を顧みるに、不動産。この環境にいてあたしは何を摂取したのだろうか。身についたことといえば、賃貸物件の退去時に取られる原状回復費用算出にあたっての交渉の粘り、くらいなもので、なんだかな。