俺はなんばんぼし

釣具屋と不動産屋の

第λФ回「2021年3月15日 残業の意味/両親賛歌」

始業2分前に目が覚め、今日も今日とて退屈なテレ・ワークであることだなあ、と言わずに胸の内でひとり思って支給されたノートPCの主電源を点けて出勤簿に打刻したる後、自分は煙草を吸いにヴェランダへ出た。始業しているのにいきなり煙草ですか、そんなことでいいのですか、他の人はすでに労働を始めているというのに。と言ってくる人がいるだろうが、確かにそれはその通りだ。その通りだが、自分は日々残業を2時間はする。なんでって、さばいてもさばいても業務が消えてなくならないからで、そのせいで自分は毎日残業をしているのだ、だからなんだ、朝の3分や4分を煙草を吸うのに私的利用したからといって。んなことで僕をとがめられるやつがいるだろうか。僕はいないと思う。判ったら黙って座っとけぼけ。と自分は言い返すだろうが、その人は、ってそんな人はいないのだが想像の話ね、イマジナリーフレンドってやつだ現代風に言えば、そんでその人はこう言い返してくるだろう、いわく「君は周りが見えていない。君以外の人がみな、残業をしていないとでもいうのかね。仮にみなが残業していないとしようか、なぜ君以外の人が残業をしないかわかるか、わからんだろうな、他の人は煙草の3分や4分を無駄にせず業務に集中して取り組み、18時の終業時刻には割り当てられた業務が完了するようにしているのだよ。少なくとも、18時を日々の〆切と認識して刻苦精励、完了するべく努力をしているのですよ。業務量が少ないだろう、と君は言うかもしれないが、笑止千万ですね、他の人もすでにキャパシティがオーバーするほど業務を抱えているにきまってるじゃないですか。でも、延々と続けていても効率が悪いし、会社のコンプライアンスとかいうものを守るためにも、ハートを鬼にして業務を中断しているのですよ。それだというのになんですか、君は。君が残業しているという事実からは、君が無能かつ怠惰であること、自他に対し堕落していることを証明するより他の意義は見いだせない、はっきり申し上げて君は排水溝のぬめり以下の存在だ。このことを君の乏しい脳みそでわずかでも理解できたら、理解できなくとも腑に落とす姿勢をとる心向きがあるなら、金輪際、業務時間中に煙草を吸うなんてことはやめて、みなで頑張っていこうよ、テレ・ワークでも画面越しでも、目標は一緒だよ方向は一緒だよ、つながれない時代だからこそつながれるものがある、ってテレビでいいこと言ってたよ、いいよね、私たちつながってるよね絆だよねチームだよね、応援します、禁煙外来

 

そんな声を自分は無視してヴェランダで朝の一服をしたの。っていうと嘘になるな、昨夜寝る前に煙草は切れていた。昨年10月の値上げの時に7箱がとこ備蓄したが、それらがなくなったのだった。だから今日は始業時間2分前に起きて、それからビーチサンダルをつっかけて近くの煙草屋にぶらぶら買いに出たの。帰ってきてからようやくヴェランダで朝の一服、となるから、多分始業から15分は過ぎていたと思う。こんなことだから出世がおぼつかないのだなあ、と思いながら吸った。故郷の両親の顔がハートの内に浮かんでは消えた。なにか感じることがあったが、それは煙草の煙のごとくに霧散した。自分の感受性くらいは守りたかったが、守れずに馬鹿者となりました。嗚呼。

嗚呼。。。って言っていても何も始まらず、より、嗚呼。。。、って感じが強くなっていく気がして恐怖したので、なるべく明るい声で「さっ」と言った。「さっ、仕事頑張ろう」の「さっ」である。でも、後の「仕事頑張ろう」は口にできなかった。何かに対して恥かしいのと別の何かに申し訳ないのと、そういうブレンドされたバリアがハートの中にあって。

それで、ヴェランダのドアを横に引いた時だったね、猫が飛び出したのは。やばいと思った。自分のところにいる猫は外に出たことがない、箱入りの猫である。その猫が一歩外に踏み出したらどうなるか。野鳥に車に道行くオバン、猫の興味をひくような動くものにあふれている。好奇心に侵された猫は、ここが何階かも考えずに、まあ猫はそもそも自分が建物の何階部分にいるかなど知らないだろうけどここは地上三階だ、その三階の高さに怖気を見せることもなく手すりの合間から飛び出してゆく。
そんなイメージが0.3秒で身体を駆け巡り、自分は「さっ」と音もたてずに猫をいだき室内に戻った。自分のところの猫には外界の経験がほとんどない、といってよい。自分が譲り受けたときはすでに生後10ヶ月が経っていたが、その前も室内で飼われていたのだと思われる。そんな猫が東京の真っただ中に躍り出たらどうなってしまうのか、自分はあまり想像したくない。これからはヴェランダの開け閉めに気を張らなくてはならない。

 

しかし、とも思う。しかし、これは猫にとっていいことなのだろうか。猫本位で考えれば、狭い部屋で幽閉されるよりも、多少の危険はあれど外の世界に泳ぎ出て、猫本来の生活をする方が猫としての生をまっとうできるのではないか。確かに、人間に囲われて毎日まあ決まった時間に食物が提供され、本能を適度に刺激し鎮めるための人口玩具にあふれた部屋で生きていくのは、世話人の人間が気を付けている限り、安全だといえるかもしれない。外界には、野良であるために交通事故に遭う猫がいる。また、増えすぎた野良猫は害獣として保健所に連行されて死ぬ。喧嘩をして重傷を負い、感染症にかかる。無残な姿で死ぬ。そういうことを思うと、猫にとっては外が絶対によい、と断言できない。はっきり言って、自分以外の外部ばかりで構成された外世界は、そのすべてが危険である。それでも、外に出ようとする猫を阻止する、ということに対する葛藤が自分は抜けない。世界を拡げたいと望む生き物に対して、それを阻む権利、権利という言葉が僕は嫌いだがこの単語しか思い浮かばない、その権利は猫の世話人である自分にもないのではないか。子離れできない親の気持がすこしわかったような気がした。もし自分の子供ができたら、と思うとおそろしくてたまらない。都道府県外はおろか、海外に出てゆく息子娘をそうさせる親というのは、すさまじい肝っ玉の持ち主なんだな、多分。ブラボーだと思う。ナイスだと思う。

とはいへ、猫を外に出すことはマアないだろうが、せめて広い部屋が多くあるところに引き越してやりたいとは思う。つまり、家であるのよね、こういう場合はきっと。買うにしろ借りるにしろ、モネであるのよね、必要なものはきっと。残業している場合じゃないのよね、なんついつつ。

 

文責:不動産屋