俺はなんばんぼし

釣具屋と不動産屋の

第㍉γ回「2021年3月12日 パンピープロ/アジもたまには食わんかい」

つくづく、プロ、というのはすごいものだナーと思う。例えばスキージャンプだが、一般の人いわゆるところのパンピーがあのジャンプ台に立ってみると下から見上げるよりも相当高く感じるものらしく、滑りなさいそして跳びなさいあるいは飛びなさい、などと言われようものならおそらく失禁するだろうと思われてならない。私なら失禁する自信がある。それほどに一般人にとっては恐怖の権化たるジャンプ台なのだが、その選手はというとまあ恐怖がまったくないわけではないだろうけれども、彼ら彼女らはその台をつかって滑りかつ飛ぶあるいは跳ぶのである。じゃあ、じゃあこの違いはなになの、彼ら彼女らは勇気や強いハートを持った人間で、パンピーは弱気や弱いハートの持ち主ってそういうことなの、と聞いてくる人があると思うが、自分はそれは違うと思う。いくらスキージャンプ台からえいやと空中に躍り出ることができたとしても、たとえば野生のヒグマに出会ったとしてえいやと向かっていけるものだろうか。いけないと思う。たまに、クマに素手で立ち向かいそして勝利する武術の達人がニュースになることがあるが、クマと対峙できる者はそういう体術の会得者のみなのであって、スキージャンプの天才と呼ばれてもクマの爪には敵わぬのである。クマ戦業界においては、いかな有名なスキージャンプ選手といえど、パンピーとなるのだ。
それではスキージャンプにおけるプロ選手とパンピーでは何が違うのか、といえばそれは慣れだと思う。聞くところによると、スキージャンプのプロ選手になるような人たちというのは、物心がつく時分からスキージャンプ台にのぼっているのだそうだ。もちろん高さは年齢層によって低きから高きへ移行していくのだろうが、このように幼くして高度への耐性を培うものらしい。幼少期に経験しているかどうかがその後に大きく左右するものとしては、ほかに音楽や言語などがあるのだろうと思われる。世の親たちが我が子のそうした可能性に夢見るのもうなずける。子供がどう思っているかは不明である。

 

猫にも人間のスキージャンプと同じように、幼少期の経験がその後を左右する事柄がある。それはなにかと申し上げますと、餌であります。これまた聞くところによると、生後何週間かは忘れたが、確か8週間か6週間だったと思う、この8週間か6週間の間に食べたものを食べるようになるらしい。つまり、この期間に刺身を食べたことがない猫はもう刺身を食べない猫となり、乾燥フードしか食べなかった猫は乾燥フードしか食べない猫になるそうなのだ。んなことあるかい。自分もそう思っていた時期があった。だが、確かに自分のところにいる猫は乾燥フードしか食べない。たまには珍味佳肴も食べたかろう、とアジの刺身などをあげてもにおいを嗅ぐだけで食べようとはせず、乾燥フードを呉れといってムームー鳴くのである。この猫、名はシマリスというが、シマリスが自分のところに来たのは生後10か月以上経ってからだった。その時すでに味覚が形成されていたのだろうが、おそらく生家ではミルクと乾燥フードしか与えられていなかったのだと思われる。乾燥フードが好き、というより乾燥フードしか食べ物を知らない。そんな状況なのではないか、猫としては。まあ、仮に乾燥フードが環境破壊に通ずるという風潮が巷間に広がったとして、SDGsなどというお飾りの御名目を大切にする企業は乾燥フードを作らなくなりこの世から乾燥フードが消えてしまったら、なにか他の物を食べていきていくのだろうが、おそらくそのような外的な強制力がない限り、猫の食生活を変えるのは難しいような気がするというのは生活の実感。

 

洗ったレゴを乾かすには、陰干しよりも、扇風機の風に当てるのが一番よいです。

 

文責:不動産屋