俺はなんばんぼし

釣具屋と不動産屋の

第52回「みた 2001年宇宙の旅 / みて、頭の中がヨーロピアン」

先日、所用で久しぶりに札幌へ行った。ドナウ川は流れていない。札幌を南北に流れる豊平川は途中で石狩川と結ばれて石狩湾に注がれる。その昔、鮭も遡上をしたそうだよ。今は知らん。

などと空港から札幌に向かう列車で連れの人間に話していると札幌に着いた。快速エアポートを名乗るだけあって列車は快速で、思いがけず時間が余り、えっとどうしようかと先行きの見えぬ無聊におそれおののいていると連れから、映画にでもいかないかね、との提案。それって素敵。そう思った私は、そういたひまひょ、と近江商人のような口調でもってこれにこたえ、勇躍って感じで駅ビルのエレベーターに乗り込んだのである。

チーン。とサウンドが鳴るでもなく映画館のある階にエレベイトして、さて何にしましょうかと上映中のラインナップを閲していくも興味関心をそそるものはなく、だみだー、と思っていたら、あるじゃないですかやってるじゃないですか、2001年宇宙の旅が。懐かしの名作をリバイバル上映する企画もののひとつだったみたいだが、自分は非常な僥倖に立ち会ったものだと思う。
映画はやっぱり映画館で見るのがいいよね、などと言う人があるがまったくもってその通りで、映画はやはり映画館で見るのが一番良い。しかしそうとわかっていてもどうしても映画館で見られない映画があって、それは昔の映画ね。たまに地方に残っているなんたら電気館だのかんたら座だのと名前がついている小さな映画館でジブリ作品なんかがリバイバル上映されていることがあるが、昔の映画をスクリーンで見ようと思ったらそういった機会しかないのだ。これは全国の映画情報を細かくチェックしているマニヤであれば必然の機会なのだろうが、一般人には偶然の域を越えない機会だろう。たまたま夜空を眺めたらその日はこぐま流星群の観測日だった、みたいな幸運に恵まれたものといってよい。

そんで、2001年宇宙の旅は自分の中の「映画館で見たい映画No.1」の座を長らく占めていた映画なのであった。
HAL9000がポッドをフランクにぶつけて彼を宇宙の闇へぶっとばす無音のシーン、ボーマン船長がHAL9000をゆっくりと確実に殺しにかかる真っ赤なシーン、その後のめくるめく色彩がボーマン船長を通過してゆくシーン。これらを、他の一切が視野に入らない状況下で眺めたいと思っていた。その眺望に宿る精神的な自慰効果にこころゆくまで浸りたいと思っていた。そしてその機会が期せずして訪れた。これを僥倖と言わずしてなんといおうか。

他の一切が視野に入らない状況下で見るため、A列のど真ん中にひとりで座った。スクリーンが目と鼻の先にある。君もどうかね、と連れも誘ってみたが、私は見やすいところで見たいですな、と言って階段を登って行った。連れはJ列まで登るという。そんなところで見たら首がどうにかなってしまいます、とも言った。そんなものかね、と私は思ったが、果たしてこれはマジだった。映画館の一番前の席は首が痛くなる、ということを言う人が連れ以外にもいたが、確かに首は非常に痛くなった。しかしそんなのは体勢を都度変えればいいだけの話であって、他の一切が視野に入らない状況下を捨てる理由にはならぬ。幸い、というか最前列だから当たり前だが自分の前には誰も何もいないので、無限のような空間に脚を伸ばしたいだけ伸ばすことも、これ可能であった。素晴らしい状況下でつくづく自分は僥倖ダナー、と思ってわくわくしたね。
しかし、折角連れ添って映画館に入ったのに、席を隣りして鑑賞しないなんて、なんたら身勝手な人だろう、人だらう、という反省がなかったわけではない。そりゃ、100回映画館に行ったら99回は連れと並んで座るであろうし、1000回行ったら999回は同じようにするだろう。ただ、どうしようもない1回があり、それらのうちの1回がこの日の1回だった。そう自分を正当化させていると、照明が消え、形容しがたい轟音が静かに鳴り始めた。


はっきり申し上げて、この日札幌へ行ったこと、時間を持て余したこと、連れが映画にでもいかないかねと提案したこと、この映画がたまたま上映されていたこと、このリバイバルを企画してくれた関係者の方々、映画館を誘致してくれた駅ビルのテナント営業の方々、東京から新千歳まで安全に飛行機を操縦してくれたパイロット、飛行機の中で避難時のいろはを伝授してくれた客室乗務員の方々、その飛行機を整備してくれた整備士の方々、彼ら彼女らを健やかに育んでくれたご両親ならびに関係者の方々、スタンリーキューブリックアーサー・C・クラーク、あの色彩を演出した名前は忘れたが偉大な若者(当時)、などなどへの感謝の気持があふれんばかりにあふれてあふれた。いいっ! 実にいい! ナイスじゃよ! という賛辞以外には語彙が出てこないが、感無量でした。それはもう実に。この世を去る前にこれを映画館で、スクリーンで見ることができて、私は果報者でございました、と今なお思う。しかし。

約50年にわたる時の洗礼をうけて残っている作品だからどうしても、稀代の名作・良作、という刷り込みがある程度されてしまっている。その影響を少なからず自分が受けているのが口惜しいが、1968年当時、はじめてこれが映画館で上映されたのを見た人たちの感受感慨はどんなものだったのだろうか。それはおそらく、私が感じられたようなものではなかった、経験知に汚染されることのない更なる未知に満ちていたのではないだろうか。そう思うと、どうしようもない摩天楼的な壁の存在にため息をもらすしかない。
タイムマシンがあったところで解決する問題ではない。すでにイメージ付けがされてしまっている。記憶を意図的に忘却させる手段があったとしても解決しないと思われる。おそらく無意識下にイメージの根がおりている気がする。となると、もうどうしようもないじゃないか。って私は誰に言っているのか。意識や印象を漂白する術があるなら、してみたいものだと思う。


現代詩はどうだとか現代アートはなんたらだとか識者関係者および聞きかじり者はよく現代の芸術とされるものをネガティブに言う気がするが、いつの時代にも後世に残る作品というのものが、ごくわずかだが媒体問わずあるはずだ。時代が移ってもその時代の人に何かを思わせるような、そういうものに自分も触れる機会が日々にあるはずだろう。生きている限り、常に時代の先端に立っている。

なにが言いたいのか書きたいのかよくわからなくなったが、いろいろと大変な世の中で毎日でたくさんの人間のなかで互いが定まらぬ視線を交換していて自分もその中のひとりで、気持はすっかり小池の鯉のようにあぷあぷしているものの、わりと捨てたものではない、と思うこともあるにはある。

偶然ほどにありがたいものはなく、美しいものはない。
偶然に感謝したい。見られてよかった、いやほんと。マーベラス

あれから、美しき青きドナウの脳内再生が留まるところを知らず、流れは奔流と化して、頭の中がエウロップざあすのよ。


文責:不動産屋

 PS, 後半の白い部屋に飾られた絵画が気になる今日この頃ですね。