俺はなんばんぼし

釣具屋と不動産屋の

第51回「コロナワクチン接種に関する個人的空模様」

 とうとうこのあいだ、コロナウイルスワクチンの一回目の接種を受けることが出来た。私は大阪に在住しているため、大規模接種など開催されていたが、すぐに予約がいっぱいになりなかなか受けれずにいた。

 もちろんワクチン接種の不安はあった。副反応(なんか副作用って言葉を前は使ってた ような気がするけど、勘違いかしらん)が怖いのだ。短期的なものもそうだが、将来どういうリスクがあるのかいまいち不明の様だ。現在目に見えているのは発熱や腕の痛み、ワクチンの種類によるが心筋炎なんてのも副反応としてでるかもしれないという、という事が分かっている。長期的なものも当然ゼロじゃないだろう。もしかしたら、将来的にワクチンが原因で、重篤な身体への影響が出るかもしれない。うむ。目に見えぬ将来への不安を取って接種を様子見もしたかったし、感染、重症化へのリスクを低くする方を取って接種もしたい。結局、私としては、感染するリスクと、ワクチンのリスクを天秤にかけて、接種する判断を下したのだ。 

 とはいえもし、目の前にショートケーキとモンブランが置かれていて、どっちか一つしか選べません、どうしますか?と問われた時ほど真剣には悩んではいない。ショートケーキもモンブランも同じくらい好物なのだが、この二択はメチャメチャ迷うだろう。どっちの味も知っているから。しかし、ワクチン接種をするか否か、は現在判断材料があまり多くない。多くない、というか実感がない、といった方が正しいのかな。ワクチンも感染に関しても、ニュースや文献、統計的データなどの情報は集めることが出来る。が、やはり遠いのだ。自分自身が感染済みだったり、身近な人の多くが感染していて、どのような模様だったか、みたいなのを直接見聞きしていたら、おそらく感染への恐怖は大きい気がする。また、自身がワクチンなどの研究をしており、どの程度将来的なリスクがあるか予測が出来るならば、ワクチンへの恐怖も大きいかもしれないし、小さいかもしれない。とかく知識がないのだ。もちろん調べて、自分なりに知識は吸収していますが、当然専門家的知識は得られない。つまりワクチンへの恐怖は、知らないから生じる恐怖なのだ。まあ、感染に関してもそうだね。だから、相当えいやって感じで接種を選んだといったところだ。私としてはこんな感じである。

 

 話は変わるが、振り返ってみると、私は何かを決めるときは、だいたいがそういう感じだった。刹那的になんとなく決める事が多い。例えば大学なんてものも、なんとなく行こうと思ったし、どこに行くかなんてのも、絶対にこの大学に行きたい!みたいな感じでは決めていない。就職もそうだ。業界も会社もなんとなく選んだ。なんとなく自分はこういう方向性かな、みたいな感じで、現状の自身の状況を鑑みて、貰ってくれるとこ大歓迎!といった感じでえいやって決めてきた。

 ちょっと前までは、カッコたる信念みたいなものを持っている人が羨ましかった。こういう事をずっとやっていきたい!だとか分かりやすく言うと、わたしゃ夢があるよ!みたいな感じで。自分の理想というか理念に基づいて邁進している姿は強いと思うからだし、自分はそういうタイプではないからだ。その原動力はなんだね?とずっと羨ましく思っていたのだ。今も羨ましいけど。とはいえ最近は、まあ自分はそういう感じでもいいんじゃねえかな、なんて思えるようにはなってきた。自己受容とでもいうのかな。なんでかは知らない。でもなんとなくそう思えるのだ。かなりずれた。

 

まあなんにせよ、何もかも分かった状態で何かを決めれるなんてことはめったにない。のだから、ワクチンでなんか起きたとしても、ワタシャ運がなかったね、と思うようにすることにする。

 

 あんまりこういった内容のものは書くつもりはなかったが、ご時世という事もあって書いてみた。みんなどんな考えでワクチンを打つかどうか決めてるのかな、と思って。いったん自身の考えを提示してみました。

 

今日はここまで。次回は明るい話を書きます。

 

PS.私は武田・モデルナ社製のワクチンを接種した。副反応としては注射を打ったところの痛みが出た。筋肉痛みたいな。服を着替えたり、力を入れたりすると結構痛い。けど、情報として世間に出ているものと相違なかった。2日間程度でその痛みも消えた。接種2回目の副反応は結構痛いらしいので、今から震えている。

 

文責おがさわら(30、大阪、無職)