俺はなんばんぼし

釣具屋と不動産屋の

第50回「読んだ バナナの世界史 / ミスマッチ@ソバショップインザトーキョー」

オガサワラが先日書いたように、人間にとってバランスの良い食事は大事、である。
バランスの良い食事をするには前提があるように思え、食べられないあるいは食べない食物をできる限り少なくする、これが求められるのではないか。宗教的な理由や個人の価値観によりある食物を忌避する人々がいるが、まあ個人の問題なのでひとまず置いとく。しかし食物にまつわる好き嫌いというのは無い方が割といいのではないだろうか。
いや、好き、はあってもいいが、嫌い、があると途端に食べられる物の範囲が狭まってしまう。

栄養摂取という観点からいえば、選択肢が狭くなることはよろしくないことだと思う。以前ある本で「好きな食べ物はブロッコリーで嫌いな食べ物がブロッコリー以外のすべての野菜というかなりエッジの効いた嗜好を有する女性(仮名:ナンシー)」を見つけたことを書いたが、彼女なんかはけっこう苦労しているに違いない。

肉や炭水化物だけでなくて野菜もこれすすんで摂取するべきよ、と多くの人は言うが、それはなにも野菜蔬菜業界の回し者であるとか野菜蔬菜を食べたくない人への意地悪ではなく、野菜蔬菜からしか得られない・或いは得にくい栄養素があってそれを身体に取り込まないとまずいことになりますよ、という親切心から言っているのである。確かにブロッコリーは野菜蔬菜のひとつで、ブロッコリーを食べることで野菜蔬菜を摂取しているのは間違いないのだが、これであたしは問題ないわ、というわけではないのだ、ナンシーよ。
めんどくさいことに野菜蔬菜のカテゴリ内でもバランス感覚が求められるのであり、この内なるバランスも整えなくてはならんのだ、ナンシーよ。
ブロッコリーにはビタミンCをはじめとして葉酸、ビタミンEなどが多分に含まれているらしいが、ナンシーの身体はベータカロチンだのビタミンAだのが不足していると思われる。
ナンシーが今どこでどのような健康状態で日々をつないでいるのかは判ったものではないが、彼女の健康を陰ながら祈る。

見知らぬナンシーに不安を抱く自分もまた嫌いな食べ物があるいちホモサピエンスであり、自分はバナナがそれだね。
触感がまずだめね、もったりとしてて・・・嚥下した後も細かな繊維が口中に残っていて、それが自分は苦手なのね。
食べ終わった後は皮が残るのもダメポイントのひとつだね。他の果物も食べた後は皮が残るが、その存在感でバナナに比肩するものはない。だから21世紀の現在でさえギャグに使われるんでしょう(いや、使われてはいないか・・・ただ、イメージは国境と時間をこえて多くの人の脳みそに焼き付いていると思われる)。実際、事後の皮が発揮する暴力性は凄惨そのもので、1世紀前の話だがヨーロッパのある国では公園や街道でバナナの皮を遺棄する人が絶えず、そこらで人や馬車が転倒して社会問題となっていたほどだそうな・・・(この頃、善行のひとつに「歩道からバナナの皮を拾い上げること」が挙げられていたそうです)。
あとは、黒々と熟していく様子をまざまざと見せつけられて時の流れを思い切なくなってしまう、正直どこまで食べればいいのか判然としないので重圧を感じる(剝き終わりの先端まで食べると苦いイメージがあるため)、などの個人的な理由による。

そういうわけで自分はバナナが嫌いでなるべく食べないようにしていたのだが、今は少し食べてみたいな、と思っている。「バナナの世界史 ダン・コッペル著」という本を読んでバナナのイメージがちと変わった。

この本はまあタイトルの通りバナナにまつわる歴史がえんえんと綴られているのだが、大企業による途上国の様々な搾取があったこと、そして今現在その辺で売られているバナナが全滅の危機に瀕していること、このふたつが主題だと思われる。

搾取についてはバナナ以外にも砂糖だのコーヒーだのあらゆる作物において行われてきたことだが、何があったか誰が死んだか、などを知ると思う所が出てきてしまう。今現在なにも考えずにいろいろな物を享受できていることについて多少後ろめたい気持なども湧いてきて千々に乱れるぜ、ハートが。
全滅の危機に瀕していることは不勉強のため大へんに意外であった。コメやイモ類のようにバナナを主食として食べる国で遺伝子組み替えに関するプロジェクトが障害を克服して功を奏する箇所は、ネガティブなレッテルを貼られがちなこの科学技術に光明を感じる。

その他にも、エデンの園でアダムとイブが食べたのはリンゴではなくバナナだったのではないか、という話が面白い。これはエデンの園があったとされる地点の気候・植生の変遷をシミュレートして、合理的に説明ができるそうだ。

多少でも知るとやはり興味がわいてしまうもので、これを読み終えた今わたしはバナナを食べたい。
嫌いをなくすには、そのものを知るようにしてみるといいのかもしれない。まあ知ったことでより嫌いになるかもしれないが、「知らずに嫌う」のと「知って嫌う」のであれば、後者の方が良いと思われる。


本当はカビの美しさについて書こうと思ったのだけれども、ブロッコリーとバナナのことしか書けなかった。カビについてはそのうち書きたい。

文責:不動産屋

P.S.
類語辞典で調べてみると、ブロッコリーは「カリフラワーの変種」であり、カリフラワーは「キャベツの変種」であり、キャベツは何の変種かは特に記載がなかった。とにかくブロッコリーは変種の変種なんだそうです。変種の変種ってどこまであてはめられるのかね。ネズミとホモサピエンスは祖先をたどると同じ生き物にいきつくんだろうけど、ネズミはホモサピエンスの変種ではないし逆もまた然りだね。
つまりは、ウィーアーザワールド、ウィーアーザチルドレン、ということかね。

P.P.S.
ところで今日の昼に近所の蕎麦屋、「生そば」って読むんだろうけど「む戒生」にしか読めないような看板がついている純蕎麦屋に入ったのだけれども、中で「ウィーアーザワールド」が流れてた。本格イタリアンのリストランテで「お富さん」を聞いたら感じるんじゃないか、と思われる違和感がそこにあったね。