俺はなんばんぼし

釣具屋と不動産屋の

第46回「エアコンのない夏」

現在、エアコンのない部屋に住んでいるため、暑くてしんどいなあ、なんて思ってはいるが、存外なんとなく慣れてくるものである。窓全開に扇風機。扇風機はないとやばい。これまでいかにエアコンに依存していたか。夏が本格化したら死んじゃうかもしれないけど、エアコンのない夏というのは今のところ悪くないなあって思っている。

 

エアコンのない生活を送っていると、まず第一に我慢強くなる。我慢強いってのはかなり大事ですよ。外の道とか、エアコンの効いてない公共交通機関とか、ちょっとでも暑い空間に行くと、涼しさを知ってしまっているが故に暑いなあ、と文句を言い、ひいてはイライラしてしまうでしょう。これが無くなる。だってずっと暑いから。部屋にいても外に出ても常に暑い。悪い方で慣れると、精神衛生上有利に働くのだ。

 

エアコンのない生活を送っていると、一人で家にいる寂しさが紛れる。ご近所の声がよく聞こえてくるからだ。お隣の家族の親子ゲンカ、向かいのおじいさんの無限に続く咳、近所の墓地から聞こえるチーンという鐘の音とお線香の香り。エアコンがあったら窓を締め切って外部の情報を一切断つでしょ。これこそが現代日本に失われたご近所付き合いというものだろう。実際にご近所さんと話したことは一回もないけど、どこかで繋がってる気がするんだぁ。

 

エアコンのない生活を送っていると、感覚が少し鋭敏になる。夕方に急にふっと涼しい風が入ってくる時は激しい夕立の前。こりゃ雨が降るよ、と風の冷たさとか強さで分かるのだ。遠くに聞こえる鈴虫の音色。彼らの旋律を聞きながら暮れゆく1日を思い、去りし少年時代を思い出す。なんとなくそういう感覚があったような気がする。今日は星がよく見えそう、だとかこのくぬぎの木にはカブトムシが来るよ、とか。大体カブト虫は来ず、せいぜいコクワガタだったけど。匂いだけかと思っていたが、音も思い出を連れてくるんだね。おもひで、ぽろぽろ。

 

 

小さい時はお外で遊ぶことが多かった。私は東京のハズレなので割合自然や田んぼはあり、ヤゴを捕獲したり鮒釣りしたり、エアガンを撃ち合ったりしてた。いつからか失われた感覚。それがエアコンを無くしたことで少し戻ってきた気がする。便利さ云々はよく言われているが、自然に回帰していくんだろうね。

 

そういえばまだセミの鳴き声を聞いていない。

夏はまだ本格化してないのかもしれない。耐えれるかな。去年の大阪の最高温度は38度だったらしい。

まぁ、やばくなったら図書館とか喫茶店に行けば良いのだ。

 

30回目の夏が来る。

 

文責おがさわら(30,大阪,無職)