俺はなんばんぼし

釣具屋と不動産屋の

はじめにってなんだろうね

obandesu.

おばんです。という挨拶をする人がたまにあるが、晩だからなんなのだというささくれた気持ちと、あんたおばさんって感じでもないだろうという生真面目な気持ちが入り乱れる日々。

 

突然ですがこのウェブログは、関西でひなげしのようにけなげに生きる農機具屋と、クアラルンプールもしくは東京都江戸川区フナムシのようにけなげに生きる不動産屋によって適当に書かれ、積み重ねられます。

 

このウェブログをグランドオープンするにあたり、他のそれをいくつか覗いてみると、「はじめに」みたいな挨拶・初期導入の記事があるものが大多数でした。
ならばと思ってこのウェブログの「はじめに」を書いて倒そうと思いました。
が、はじめがあるということはおわりがあるというのがこの世の理で、はじめから終結を感じながらウェブログを書き始めるのは片腹が痛い。かといってなぜ桜がうつくしいのかということを考えると、そこに桜のおわり・枯れ・花吹雪があるからだということからもわかるように、終わりがあることで美化されるものもある。

ということは、はっきりいって「はじめに」をどう扱っていいかまったくわからない状況に自分は今立たされている。28歳にもなってこのような状況に追い込まれるとは、予想だにしていなかった。28歳。
28歳といえば昔の幼いみぎりには、「28歳って大人だなあ」と思っていたのに、実際はそうでもなく、脳みその細胞などにいたっては退化した部分が多勢で、大人になるということは一般的に成長・進歩の道を歩んでいるということとして捉えられているかと思うが、脳みそを例としてある意味では退化することでもある。
さっきまで「はじめに」の扱いについて自分はわからなくなっていたのに、今もっともわからないのは成長と退化の判断だ。

こうしてわからないことは連鎖してゆき、わからないことが増えてゆき、わかることは稀れで、わかったと思っていたらまったくわかっていなかったことに気づくこともあり、脳内が常に混線していて、出るのはため息のみという体たらくになった28歳の夏!

〜の夏、といえば17の夏、などは爽やかで噛んだら酸味と甘みがない混じっていそうで、好意的。が、28の夏、はいかがだろう。なんの感慨もわかない。というのは自分の脳細胞が破壊され、自ずから破壊して、感情と感慨の泉、ハートがなくなったからか。そう思うと28は冷たい生き物である。
96の夏。こんな言葉は聞いたことがないが、96の夏は28の夏よりもなんだか面白そうではある。

 

以上で当ウェブログの1ページめをしめたいと思います。
ウェブログは農機具屋と不動産屋で交互に書いていくと思います。
次は農機具屋です。