俺はなんばんぼし

釣具屋と不動産屋の

第三回 恋は何色か

はっきり言って動きました、感が。いわゆるところの感動です。

本日未明のこと。
所属する株式会社に言われるがまま、花香る札幌から、路傍の自販機横になぜかちゃちな安傘が投棄されている極東の都・東京に転勤した自分は、沈鬱な気持ちでドミノ・ピザを2枚そういって、ホテルの部屋でピザを食べていた。ひとりで。
普段まずひとりでテレビなんてものを見ることはないが、せっかくなのでテレビを点けて、BSの「世界の音楽」みたいな番組を見るともなしに聞いていた。すると。
聞き覚えのある曲が流れてきた。どこかで聞いた音楽だ。あれは、そう、繁華な街中に生まれ育った人にはピンとこないかもしれないが、田舎町のあちこちにスピーカーが設置されている、あのスピーカーから聞こえてきた音楽。スピーカーの運営元が町役場なのか公民館なのか、そのへんは謎だが、田舎ではこのスピーカーで朝昼夕を町民に知らせるだけでなく、役場のお知らせ、果ては行方不明者の捜索願いまで流すのである。

テレビから聞こえてきたのは、ポール・ナンタラの「恋はみずいろ」という曲。まっこと、美しい曲である。
故郷の日没が脳内に広がった。自分の田舎では毎日午後5時になると、このメロディが響き渡ったものだった。おそらく町域全体、何キロにもわたってスピーカーが設置されているのだろう、音楽が幾重にもなって耳に届き鼓膜をふるわせた。ふるさとの風景。母の声、父の背中。
つかの間の望郷からか、気づけば涙していた。東京で。ひとりで。

というふうに感傷にひたることは全くなく、というのも自分はハートを無くしているからだと思うが、そんな望郷などはどうでもよい。
一番驚異的だったのはあの美しいスピーカー音楽に、ちゃんとした作曲家(改めて調べてみたら、ポール・モーリアという御仁)が存在していたことである。
自分はてっきり、若い頃に音楽をかじっていただけの、地元の田舎にころがっていそうなきれいめのおっさんが作ったものだと思っていた。地元の、なんたら音頭と同じものだと思っていた。

ポールに謝りたい。恋に謝りたい。みずいろに謝りたい。頭脳で勝手に描いていたおっさんにも謝りたい。
恋は何色か。そんなものは決まっていて、みずいろである。みずいろに違いない。

恋はみずいろ。非常に麗しい曲なのでひょっとすると優しい気持ちになれるかもしれず、もしかすれば戦争もなくなるかもしれぬ。ぜひ全世界の人々に聞いて頂きたいのでYouTubeのリンクを貼る。

https://youtu.be/QnsqBCSBW88

だが問題がひとつあって、このウェブログを見るのは自分のほか、おそらく農機具商オガサワラしか存在しないはずだ。結果としてはオガサワラが優しい気持ちになって終わるだろう。
それもまた良し、と思う無責任な自分が今いるのは東京。東京にスピーカーはありますのかね…。


不動産屋(東京都江戸川区 28歳)