俺はなんばんぼし

釣具屋と不動産屋の

第42回「続・三つ子の魂 / 怪奇・赤い光」

三つ子の魂百まで、ということわざだか慣用句があるが、これはまっことその通りであるな、と東京の不動産屋もそう思う。古語的に言うと、おもふ。
オガサワラと同じく、歯の調子がすこぶる悪い。

右の奥歯の詰め物がうわついていた。接着していないで詰め物が置かれているような状態で、詰め物はあるんだけれどもなにかの拍子、例えば粘着質な物体を咀嚼するとかアッパーカットを受けるとか、そういうことで詰め物がすぽんと取れてしまう状況にあったのであったのであった。そんで、気づいたらこの意志薄弱な詰め物が詰まってなくなっちゃったのね。つまりどこか私の知らない処へ行ってしまった、ということで爾来、詰っているべき私の歯は剥き出しになっていたのさ。

そういうわけなので歯医者またの名を歯科にTELして診察をリザーブしたのち、かごのない盗難車みたいな自転車を自力で漕いで赴いたのだけれども、そういえばむかしペダルをこいで、って名の歌謡曲がありましたな、武田鉄矢の。そんなことはどうでもよく、とりあえず歯医者に到着して私は歯科医に歯を診てもらったのです、そしたら。

 

どうやら絶望的な状況であるらしい。奥歯の3本が根っこからおじゃんになっており、早い話がインプラントOR部分入れ歯、と宣うのである。歯医者のおっさんが。
しかもおっさんはなんだか知らんが半ば切れている。感情が露出しておる。というのはおそらく、ここまで歯に頓着しない患者を診ることは年に何回あるかないか、みたいな低確率で、その患者に会っておっさんが思う事としては「なしてこなになるまでなにもせなんだ」ということで、歯の将来・未来・健康・丈夫・安心・その他もろもろ平安なる状態を祈願してやまぬ歯医者として、見るに見かねる状況だったのだろう、だからおっさんの怒りを理解あるいは納得できないこともない。それにしても。

それにしたって、ワードがきわめて強くて参る。入れ歯、である。入れ歯というものはジジババの所有するものと相場が決まっており、自分はいまだ齢30だというのに、入れ歯。泣けるぜ。インプラント、にしたってどうせコストがべらぼうだろう。もうどうしたらいいんだ、あるいはいいのだ、俺は。あるいは僕は、私は。
とりあえず、歯医者の宣告を受けて以来、しずかちゃんの入浴頻度のごとくに自分は日に3度以上は歯を磨いている。今更磨いてもあまり意味はないのだろうが・・・。

 

そんな感じで嘆きに嘆いて3日ほど経過するのだけれども、今日はなんだか精神がヤンなって、午前2時頃から東東京の街を徘徊したの。コンビニストアでビアとレモンサワーをそういって、歩きながらお飲み申し上げていたら、ヤンなっていた精神・ハートがどうでもよくなって、橋のタモトで、「冷静と情熱のあいだ」で椎名桔平ジョアンナ先生の自殺について持論を展開しつつ煙草を吸うシーン、みたいな感じで煙草を吸いながら都会の風景としての高層ビル群を眺望していたのね。そしたら。

 

高層ビルに赤いランプが点滅してゐる。あれはこれは、なになのであらうか。
おもふに、新聞社・テレビ局・通信社などのヘリコ・プターが激突しないための「こっちきたらあかんよ」という警告・警報なのではないか、とぞおもふ。
あれを見るとこれを見ると、都会だなあ、とぞおもふ。田舎で赤いランプを目撃するとすれば、消防団の倉庫前に不気味に光る赤色灯あるいはーーーーーーーー。

 

ーーーーーーそういえば、って感じでちょっと怖いことを思い出しました。
あれは中学二年の頃だと思う。北関東の辺境で中学生をやっていた自分はなにか不満があったのかなんなのか知らんが思春期ですし色々様々思うことがあったのだと思う、それで夜寝られなくて、いてもたってもいられずに外へ飛び出したのさ。丑三つ時。虫がりーりー鳴いていた。
自分の地元は電車はおろか鉄道すら通っていない土地で、見渡す限り畑と水田、みたいな場所だったのでとにかく見晴しはよい。高層の建築物など皆無で、満月の夜などはずっと遠くまで目が利くほどである。
そんで外に飛び出した自分は眺望の利く田舎道を歩いていたのか走っていたのか分からんが、とにかく無目的にずんずん進んでいた、そしたら。

水田のあたりに赤い光が見えたのね。
はじめはトラクターとかコンバインのような農機具の光かと思った。目を凝らしてその光をよく見ようとした。どこまでも赤い。ずんずん進めていた足は気づけば止めていて、その赤を確かめるように凝視した。あかい、あかい、赤い光。
途端、なんだか不安になってきて、っていうかなんでこんな時間に自分は外をうろついているのだ、という気持がわんわん湧いてきて、それからは赤から逃げるように走って帰った。脚を左右交互に出しては引いて息切って走りながら、脳みそだけは冷たくなって考えるに、農機具の光ではない。たとえ農機具の光だったとしても、こんな時間に光る理由があるだろうか? 農機具じゃなかったとしても、あの辺には民家や倉庫の類もない。あるのは、稲と水田だけである。それなら、何が赤く光ったのか。わからない。わからなかった。
しばらく走った後で赤い光があった場所を振り返ると、はじめに見た時と距離が変わらずに、赤い光が見えた。赤が自分についてきているような感覚。肌に粟が立った。

それからはもう、振り返ることなく自宅に駆け込み、布団をひっかぶって寝ようとした。布団に入ってからのことは記憶にない。

 

あれがなんだったのか、未だにはっきりとは分かっていない。
後日、ものの本を読んだ際、これだったのかな、と思う記述があった。
いわく、「山間部で見る赤い光は山の神が怒っているしるし」とのことである。
この本の通りなら、あれは山の神の怒りを買っていた瞬間だったのかもしれない。あのまま凝視し続けていたらどうなっていたのだろうか、と考えるといまだに肌に粟が立つ。

 

ああ、一睡もしないまま明るくなってしまった・・・烏がファーファー鳴いてゐる。
夏至頃。

文責:鳥肌だらけの不動産屋