俺はなんばんぼし

釣具屋と不動産屋の

第ΣΦ回「12/23(木)」

2020年12月23日(水)

ファミリーマートで購入したおもちゃみたいなパンを食べ、給茶機から出した無料の「すっきりストレートティー」という名の茶色い水を飲み、席を立って廊下に出て階段を26段のぼり、喫煙所でたばこを1本吸い、階段を26段降りてオフィースのドアを開けて入り自分の席に着いたと思ったらおっさんと関西ギャルが喧嘩していた。英語で。海外への商品卸を担当している部署なので、英語が話せる人がいたりするのだ、そしておっさんと関西ギャルはバイリンガルなのだ。

なんとなく聞いていると、関西ギャルは異動のため現在の職務を誰かに引き継がねばならず、このおっさんが引き継ぎ手なのだが関西ギャルはなんでか、おっさんに引き継ぎを行おうとしないので、なぜ貴女は然るべき後継者に然るべき引き継ぎを行わないのだ、とおっさんが関西ギャルを叱っていた、というか怒っていた。

ここは日本国である。にも拘わらず英語で互いに、というよりおっさんがほとんど一方的に、えらい剣幕で英単語を口から発射している、その光景は異様であった。海外がエリアの部署で喧嘩が勃発しているとしても、日本で聞く日本人同士の英語での言い争いは非常に恐ろしいものである。何を話しているのかわからない状態は人を不安にさせるので、おそらく普通の大人なら脈拍が上がり、小さな子供なら鼻水たらして泣くだろう。非常にまずい状況だ。

しかも、この喧嘩は自分の席の隣で繰り広げられていた。不穏な空気や嫌な感じがおっさんと関西ギャルを中心として、墨汁を垂らしたように徐々に広がっていった。大気がきしみ、ひび割れるようであった。この辺で常識的な大人というやつであれば、近くにいる人間が止めに入るべきだろう、「まあ、ちょっと落ち着きませんか」「そんな感情的になっても話が前に進みませんよ」「ちょっとあっちで話しませんか」「というか、日本語で話してはいかがでしょうか」などと間に入ってマルク、あるいはナーナーにして”調和”を図ろうとする。しかし自分は隣で話を聞いておきながら、それをしなかった。話を聞いてみると、おっさんの言うことは一理あり、というか二理も三理もある至極真っ当な主張である。じゃあ関西ギャルが悪いやんけ、てなものだが、そう言い切れるものではなく、関西ギャルは悪いには悪いっちゅうかコトの発端は関西ギャルにあるのだが、関西ギャルの事情も考えてみればちょっとナイーブなところがあって必ずしも完全に悪いとは断定できず、つまるところ、善悪・正否の判断がつかなくなって最終的には「もう思う存分気持ちをぶつけなされ」という結論に至ってしまったのだった。会社という社会の中で、おっさんの正論事情と、関西ギャルのナイーブ事情のどちらに軍配が上がるのか、それを見てみたかったという気持ちもあった。

やがて自分に携帯電話に着信、部の上司からだった。喧嘩のことである。状況を伝えるため席をたって戻ってくると、関西ギャルはいなくなっていた。目に涙を溜めて出て行ったそうである。自分があの時、っていうか10分くらい前に二人に一声かけていれば関西ギャルが泣くことは避けられたのだろうか。僕は悪い人間だろうか。

 

その後、やや落ち着いたおっさんを散歩に誘い、ドトールに入って待っていた上司と落ち合った。ホットコーヒーをそういって席につき、喧嘩の反省会となった。結論、おっさんが悪かった、とのことである。理由は、女の子を泣かせてはいけないから、そして正論でいくよりもうまくやる方が大切だから、というものだった。おっさんの正論は負けたのだった。うまくやることが大事らしかった。うまくやる、とはどういうことなのだろうか。うまくいってる、とその時その瞬間その日を完結できたとしても、やっぱりうまくいってませんでした、と後になって気づくことはしばしば有るし、そも、うまくいってませんでしたと気づけることも無いままに消滅してしまう事柄もたくさん有る。だとしたら、うまくやっていることの判断など、信用ならないものなのではないか。
なんてことは上司も解っているのだろうが、それでもなお、彼は”調和”を選んだのだろう。おっさんは悔しかったと思う。こんなことは毎日欠かさずどこかしらで起きていて、ほぼ間違いなく正論は調和に抹殺黙殺されているのだと改めて思う。おっさんはたまたま、今日の犠牲者になってしまっただけなんだろう。そうして今日も健やかな社会が回っているのだった、回ってきたのであった、回っていくのであった。

調和の魅力はすさまじいものがあると思う。


文責 : 全日本おっさんの正論党党員 兼 不動産屋