明るいおじさん、というお題をいただいた。はて、何を書こうか、1週間も悩んでしまった。明るいおじさん、なんてもの私が展開しようとしている「ユーモア論(※第2回参照のこと)」にいかにもつなげやすいが、それはやや逃げだろう。さりとて賢明な読者はご存知、明るい話とはなかなか面白くすることは難しいのだ。他人の不幸は蜜の味。人間は少しくらい残酷な方が面白がる。それでは、人間の属性は2種類に分けられる「陰陽論」でも書こうか。陽の者、はもちろんいわゆる陽キャラのことで、あとは言わずともしれよう。しかしそれはあまりにありきたり。ううむ、と思っていたが、というかこれはブログ、誰が読むわけでもあるまい、気楽に書こうという心境に至った今日この頃。明るいおじさんという小話を書くことにした。自身のエッセーでないのが口惜しい。それでも、少しは退屈しのぎになるかもしれない。
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(以下小話)
ある中年の男が転職をしてきた。社員は初め口々に噂話をした。
「ああ、なぜこんな会社なんかに転職してきたのだろう」
というのも、会社の業績自体は悪くないが、とにかく雰囲気が良くなかった。口ばかりで理不尽な要求をしてくるには責任を取らない上役や不可解な人事異動が多く、社員たちはやる気というものを喪失していたというのだ。
しかし、中年の男は一味違うことがわかってきた。というのも中年の男は大変陽気で、明るかったのだ。暗かった会社の雰囲気は一変した。いやな上司も男としゃべると陽気になり、よどんでいた人間関係が好転していく事を皆肌で感じ取れたのだ。社員たちは不思議がった。
「彼のような陽気な人間がなぜこんな会社に転職してきたのだろう」
この会社の雰囲気の好転を面白くないと思う一人の男がいた。
「どうだい、最近の雰囲気は。この前転職してきた彼のおかげだとは思わないかい?」
「そうだな、その通りだと思うよ。最近会社の雰囲気はいい。ただ、俺にはあの陽気が鼻につく。嘘くさく見えるんだ。どうも信用ならん」
「まったくお前はそういう根暗というか、斜に構えたところがあるよな。少しは見習ったらどうだ」
「あんなもの、見習う必要なんかないね」
確かに中年の男の陽気さはどこか度を越したものがあった。定時後の急な仕事でも、気の進まない取引先との接待を押し付けられても、嫌な顔を一つせずに、冗談を交えながらも朗らかに引き受けるのだ。愚痴の一つもも聞いたものがいないという。皆が嫌っているような社員とも分け隔てなく明るく話している。実に楽しそうに働いているのだ。その様子が時折演技されているものに映ることもある。しかし、他の社員にとってみては、元来の性格だろが、中年の男の演出だろうとどうでもいい話だった。事実、彼は職場の環境を良くしているし、彼と仕事をするのが気持ちよかったのだ。
すぐに職場になじみ、その明るさからムードメーカとしての地位を確立していく様に、いよいよ面白くないというよりは、憧れや恨みがましさといった感情を抱いていることに気が付いた。男は驚いた。どうやら嫉妬をしているらしい。これまで暗い雰囲気であった職場が性格一つで明るくなることが信じられなかったのだ。どうやったら、あのような明るい性格でいられるのだろうか。男は職場は金を稼ぐ場として割り切り、感情を持ち込まないようにしていた。にもかかわらず、帰宅してからも明るい男のことばかり考えてしまい、頭から離れなくなっていることが許せなかった。男は、明るい男の性格の欠点を、弱みを見つけて安心したくなっていた。
男は明るい男のことを観察するようになった。しかし、よく観察すればするほど、明るい男の人格は隙が見当たらなかった。仕事中のやり取りはもちろん、雑談中にその真価を発揮してるようであった。相手の性格や近況を把握し、会話の中で誘導し、話したいことを引き出し上手に話をさせる。まるでキャバクラ嬢のように相手を会話で酔わせていたのだ。それでいて、一人で仕事をしている時も不機嫌な様子を見受けられない。職場では全く弱みを握れそうにない。人間はどこかでバランスをとるもの、職場であのような聖人君子のような明るさを見せているなら、私生活では違う一面が見れるに違いない。さしずめ女性関係で派手であったり、賭博にくるっているか、あるいは一歩も外に出ないのかもしれない。想像しただけでワクワクする。彼の私生活を覗くしかない。
男の2重生活が始まった。会社が終わり明るい男が家に帰ると同時に後をつける。家についてから明かりが消えるまで家の近くで張り込み、そして帰宅する。明るい男が家を出る少し前に彼の家の近くで待機し、後ろをつけていく。休日には車で張り込んだ。まるで刑事になったような気持ちでこの生活を3か月も続けた。
明るい男は私生活でも完璧であった。立ち寄るコンビニや飲食店の店員にも丁寧極まりなく、ちょっとした会話の中に冗談を織り交ぜているらしく、毎回笑いが起きていた。さらに彼には家族がいた。妻と娘が2人。平日はまっすぐ家に帰り、家族と買い物に出る以外は外にも出ていない。土日には遊園地やドライブ、家族サービスを欠かしておらず、妻や娘たちととても幸せそうに生活を送っていた。絵にかいたような幸せな家庭であった。
こんなはずではなかった。私生活では女におぼれ、家族には不遜な態度を取り、関係のない人間には横柄な態度をとっていなければならなかった。観察すればするほど、彼の人格に憧れを抱いた。まるで太陽と影。男は、明るい男を観察するつもりが明るい男に照らされた自分の影を追っていた。明るい男を見れば見るほど、自分の影は濃くなっていき、それはあまりにも醜かった。一体何を追ってしまったのだろうか。
「最近どうですか?」
明るい男がある日話しかけてきた。
「いや、まあぼちぼちですね」
「そうですか、なんだか落ち込んでいるように見えたのでつい話しかけてしまいました」
「そういう風に見えましたか」
「ええ、とても」
「そんなことはないですよ。心配ご無用です」
「ならよかった。でも、やはり元気がないようなので、少し小話をさせてもらってもいいですか。笑ってもらおうと思って」
明るい男はこんな自分を気遣ってくれているらしい。どこまでもできた人間だ。
「面白い話ならぜひ聞かせてください。そういえば最近笑ってなかった気がする」
明るい男は楽しげに笑みを浮かべて話し始めた。
「鏡のない世界があったとします。鏡というものはないし、窓にも何も映らない。要は反射のない世界みたいなものです」
「ほう」
「そんな世界に突然一つだけ鏡が現れます。正真正銘の鏡です。そこに男がたまたま通りかかります。そして鏡に映る自分の姿をみます。どうなると思いますか」
「・・・驚くかな」
「そうです。男は驚きます。なんてったって鏡なんて見たことがないんですから。目の前に突然見知らぬ男が現れる。いぶかしそうな顔をして。当然、驚くでしょう。誰だ、お前は、と怒鳴ったそうです。しかし相手は鏡映った自分の姿なので返事はありません。でも、自分が怒鳴っているのですから、相手も怒って怒鳴ってきているように見えます。いよいよ訳が分かりません」
「そこで男は落ち着いて観察をはじめたそうです。するとどうやら鏡の中の男は自分と同じ動きをしているらしい。右手を上げれば、鏡の男は左手を上げ、足を上げると相手も足を上げる。あべこべの真似をして馬鹿にしてくるように思えました。でも自分とは気が付かない。なんてったって鏡という概念がないのですから。致し方ないことです。そして男はあることに気が付きます。鏡の中の男は、ひどく醜い暗い顔をしていることに。さて、そんな醜悪な自分の顔を鏡で見た男は、その後どうしたと思いますか」
男は何も答えなかった。
「鏡を殴って壊したそうです。そして安心したそうです。もう、自分の姿を見なくて済みますから」
話し終わると、明るい男はいつもと変わらぬ陽気な顔で男を眺めた。男の内面をなめるように。そして、ゆっくりと席を離れていった。
男は、その日を境に会社にくることはなかった。
「お前また転職したらしいな」
目の前には昔からの友人が座っている。
「今度の会社は何が不満だったんだ」
彼は自分の事を心配しているらしかった。
「いやいや、不満なんてないよ。休みはあるし、給与だって悪くない」
「ならどうして」
男は一呼吸置き、笑って答えた。
「いや、どうにもやめられない趣味があってね」
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今度はもうちょっと明るい話を書こうと思う。
次は東京の不動産屋。
文責:おがさわら(大阪、28歳)