俺はなんばんぼし

釣具屋と不動産屋の

第Βο回「2021年3月24日 ふぎゃあと駆ける猫よ/我想要ボヘミアン」

むにゃむにゃ言いながら猫が近づいてきたので抱き上げてやると、ふぎゃあああ、と啼いていずこへ駆けて行ってしまった。フレンドリーに寄ってきたから抱き上げたというのに途端、ふぎゃあ、などと非難の声を荒げて被害者ぶる、そういうのはどうかと私なんかは思うが君はどう思うか。と猫に問いかけても時すでに遅い、猫はとうに駆けて闇に消えている。カナシー。
自分はお酒を飲んでいて、それで呼気がウイスキーくさく、ヤンなってしまったのだろう。しかししょうがないじゃないか、お酒を飲むのは。そんなに嫌わなくてもいいじゃないか、お酒を飲んでいたとしても。

 

そんなことはどうでもよく、つくづく思うのは頭髪を切るのがめんどくせえなあということで、まあ正しくは自分で自分の髪を切っているわけではなく、美容師? 理容師? どっちか知らないのは申し訳ないがそういう人に切ってもらっているので事実にてらして書き直すと、頭髪を切ってもらうのはめんどくせえなあ、ということ、これをつくづく思っている。
まず、移動がめんどくせえのである。自家がカットハウス・美容院・理容院・床屋などであれば、それなりの設備も整っているし、プロもいる。問題ない。しかし自家はただのパンピーが暮らしているだけで、設備もなくプロもいない。だから往来に出てそういう場所に行かないといけないのだが、これがうーん、めんどくさいのね。第一、自分は外出に向いていない。日の光を浴びず、他人とも触れ合わずに、たとえば深海の海藻のような存在でありたい、と思う性向なので、外に出てもびくびくしているばかりで、どっと疲れるのである。だいたい、東京に来て2年になるが、いまだに街に出るとおのぼりのようにあちこちを物珍しそうにキョロキョロしてしまう。情けのない話。
また、どういう風に注文すれば自分の希望通りの髪型にしてもらえるのか、それが皆目見当つかないしね。一応、こういう風にしてほしい、ちう希望はあって毎回それを伝えようと頑張るのだが、自分の伝え方が悪いのか、「ああ、これよこれ」と合点がいったためしがない。毎度、「こんな感じになりましたがいかが?」と聞かれて、もうどうしようもないので、「はい、大丈夫です」と問題なさげに答える。この、問題なさげ、を繕っている自分を鏡で見ている時が味噌である。何が大丈夫じゃ、ぼけ、そんなんだからおのれは出世も覚束ないのだ、と自分に向かって思う。自分と目が合わせられぬ。
ひょっとしてこれはあれか、「理想が高くて結婚できない女」みたいなことを耳にすることがあるが、ちょうどそういう感じ、自分の目指す髪型があまりにも理想的に過ぎて現実の自身に即していないのだろうか。ちなみに、「理想が高くて結婚できない男」というのは聞いたことがない気がするが、これは女性差別にあたるだろうか。とにかく、やっと床屋についても、十分に注文することができない。カナシーことだ。

一時はもう髪が生えないようにしようかな、と思ったこともあった。永久脱毛である。生えてこなければ切ることもなくなり、髪型を整える必要もなくなり、出かけることもなくなり、「大丈夫です」と嘘をつかなくてもよくなり、金銭が浮き、良いことしか残らないような気がするのは自分だけか。ウィッグを各種そろえて、その日の気分で瞬時に髪型を変えることもできる。髪型をキメるのとはまた別のファッショナブルな面、あそび感覚があるしね。

頭髪に関してはサラリー・マンを辞退したらやりたいことがある。まず頭髪をすべて剃り、それからはもう髪を切らない。おそらく70年代のヒッピーのようになるだろうが、毛髪の伸びる限界が個々人で設定されているらしいので、いつか止まる。そうしたらもう自分の勝ちである。そして丸サングラスの奥でニカと笑って、ピースを決めたい。口で「ピース」と言いながら。と思うのは自分だけか。髪に思い悩むこと、気を遣うことがなくなってめちゃいいやんけ、と思うけどね自分の場合は。

 

文責:七三の不動産屋