俺はなんばんぼし

釣具屋と不動産屋の

第65回「ぼん」

卓袱台の上に鎮座してゐたオレンジジュースを飲みながらパッケージを見てみるとオレンジの原産地が略称記号で表記されている。見ると、「BR」。HTMLの改行ではなく、ブラジル。ブラジルからはるばるとオレンジ達がやってきて、ニポンで絞られて今こうして自分の咽頭を通過している。あるいは現地で絞られて液体として運ばれてうんぬん。いずれにせよ、グローバル。GBを感じる。むかし読んだ宮本輝優駿という小説に、ウラジミールという馬がいたね。ウラジーミルはロシアの人の名前だね。

 

近所に、フラダンス教室、と大書されたイーゼルを公道に据えて喧伝宣伝している家がある。どうやらこの家ではフラダンスが教え広められているらしいのだが、家の外見はというと別にフラ的ではなく、いたってフツーの近代的平均住宅であって、別に椰子の木が猫の額のような庭に生えているわけでもハイビスカスの花が塀に咲いているわけでもない。なんの変哲もない住宅街の一画に、突如、フラダンス。微妙なる違和感を抱えて、自分はこの道を通る。

フラはハワイの土着信仰というか今は亡きハワイ王国の宗教的な踊り、日本でいう神楽なのだろうが、ダンス、と言ってしまうともうそれはダンスなのであって、宗教的な意味合いが薄れてしまうような気がするのは自分だけだろうか。それが薄れたからなんなんですか? と問われれば困ってしまうのだけれども。

 

日本には先祖の霊を鎮めるのだか鎮めないのだか詳しいことは分からないが、とにかく累累たる祖先の霊を祭るために人々が盆に踊る習わし・フェスがある。櫓なんかを組んで。これを盆踊りと日本人は言うが、欧米ではこれをボンダンス、と呼ぶらしい。富士山といわずにマウントフジ、みたいな感じで。
盆踊りをダンスの一種として捉えるのかどうか、それは個人の感覚によるが、私おれ自分的にはダンスとは言えないのではないだろうか、と思う。どうしてかは説明できないが、あれは踊りであって、ダンスではない。じゃあ、じゃあ踊りとダンスの違いとはそもなんぞや、って、自分はそういうことを大学に行って研究したい。最終学歴を塗り替えて。ダンス部で20代と和気を藹々させて。

そして突然だが、願わくば、日本でフラがダンス教室・カルチャースクールの一種となっているように、欧米列強の国々のどこかいずこかで、ボンダンススクール、が有閑マダムによって開講されていてほしい。ブルックリンの一画に「ボンダンススクール」。マンチェスターの街角に、「ボンダンススクール」。コペンハーゲンの片隅に、「ボンダンススクール」。そこらでは、今日も太鼓と祭り囃子が響きわたり、提灯に照らされた人々が、「春はふるさと花盛り 草は萌え出でひばり飛ぶ」なんて歌詞に合せて舞う。それはわりと好奇心をくすぐる光景だと思う。
女性に向けた浴衣の着付け、草履の手入れなどの基本的なことは勿論、男性をターゲットとして帯の締め方、ねじり鉢巻きの固さ調節の方法、足袋の選び方など幅を拡げ、ボンダンスに欠かせないテキ屋の業界事情、世帯構造の変化による地域社会関係の希薄化などの応用的な研究も進めてほしい、そう願ってやまないのであります。

文責:不動産屋 兼 全日本盆踊振興普及連盟協会関東地区東京支部長補佐役兼部長代理(30)