俺はなんばんぼし

釣具屋と不動産屋の

第66回「ヒトデに白旗」

先日、貝に関する本を読んだ。牡蠣の歴史、ってタイトルの本で、先史時代から現在に至るまでの牡蠣の情勢、いかに人は牡蠣を食べてきたか、世界の牡蠣産業は日本産の品種に支えられている、みたいなことが書いてあって自分は、ほーん、といちいち感心しながら読んだの。

この本によると、貝類には固定的な性別(ジェンダーでなくセックス。というか、ヒト以外の動物にジェンダーはあるのだろうか)がないそうで、時期や環境の必要に応じて雌雄を変じるのだそうだ。これはヒトデもそうだった気がする。雌雄の可変性を持つかどうかは、おそらくどこかしらなにかしらで線引きができるのだろうが、無知な自分には見当がつかぬ。

ヒト界でも雌雄の可変性はある、といえばあるが、それはあくまでも人工的な処置であって、先天的に可変性を有しているわけではない。大多数のヒトは、男と生まれ落ちたら男性の身体のまま死んでいく。女と生まれたら女性の身体のまま死んでいく。
でも、と自分は思った。会社帰りの信号待ちの間に。

ヒトの性別が固定されて、自然に変わらないのは、そうする必要がないからなのではないか。相性や好み、あるいは運命といったものはわきに置いておいて、往来に出てみると右にも左にも異性がいるのだから、ドライに考えれば、ひとまずパートナーは見つかるわけだ。性別を変える必要がない。
しかし、子孫を残して種を維持するために必要な場面が訪れても、その時ヒトの性はやはり動かないのだろうか。

牡蠣とヒトは違う生き物で、ヒトデとヒトも違う生き物だけれども、できる限り半永久的に種を継いでいく目的は同じであるはずだ。牡蠣やヒトデにできて、ヒトにできないなんてことあるだろうか。
ヒトの染色体は父母両方から片方ずつもらうため、両性の素質を備えているような気がする。と、そのようなことを信号の点滅を眺めつつ思った。

 

ということを考えるきっかけになったのは、地球で最後のふたり、というタイトルの本でした。プラープダー・ユンというタイの作家が書いた小説で、内容はうえで自分が考えたこととは関係がないのだけれども、もし地球に残った最後のふたりが同性だったらどうなるんだろう、とそのような疑問が浮上したのでした。あらゆる生命がしぶとくしたたかに生き延びてきたことを考えると、同性でもなんとかしてしまうのではないか、とそんな気がしたのです。

何年先のことになるか分からないが、地球上に残された人間の数がふたりになるタイミングがあるだろう。はっきり申し上げて、見ものである。まず出会うこと自体が奇跡的かもしれないが。
もし、時を同じくして牡蠣あるいはヒトデも最後のふたりになったとして、同性で残されたヒトがどうしようもなく斃れたとしたら、牡蠣やヒトデが種族の春を謳歌することになるのではないか。
産めよ増やせよ地に満ちよ、って感じで牡蠣種族とヒトデ種族はじゃんじゃん増えていく。やがて地球を二分する勢力となり、種族間の全面戦争がおっぱじまるに違いない。そして牡蠣はヒトデに食われてしまうから(冒頭の本によると)、ヒトデが万物の霊長として地球上に君臨することに・・・。
ということも考えられるので、いつかそうなった時のために以上のことを御影石かなにかに刻んで埋めておき、未来のヒトデに発見してもらいたい。そんで、古の預言者としてヒトデ界のオカルト連中を喧々諤々いわせたいものです。

 

文責:不動産屋(ヒト)

 

P.S.
ヒトデと旗、といえばヒトデっていうか星型を国旗に描いている国が多いなあ、と思う今日この頃。ブルキナファソとか。