俺はなんばんぼし

釣具屋と不動産屋の

蕎麦の居場所 / ソフトクリームは平和を齎す

ホーマー・J・シンプソンがその娘リサの誕生日にプレゼントを買いにモールへ行って、リサの顔写真とホーマーの声をアテレコした醜悪なビデオを製作する、というエピソードはどの話だったか。まったく思い出せない。
なんとなく、あの話かな、と思うものはいくつかあるのだけれども、どれもハズレである。その数分、数秒のシーンが見たいのにどのエピソードにそれが挿入されていたのか分からなくなる、こういうことがシンプソンズを見ているとよくある。話の展開が二転三転して、やっと本題に入る構成が多いから、タイトルだけでは見たいシーンを探り当てることができぬ。

話は変わるが、最近は蕎麦ばかり食べている。都会にしかない100円均一のコンビニストアで3食100円で売っているやつ。田舎にはこんな安い蕎麦製品はないだろうと思う。都会の貧しさをひしひしと感じて、おれは勝手に悲しみを感じている。ひと玉33円の蕎麦はやはり33円というだけあって、なんだか味気ないし。蕎麦の味がほとんどしないのだ。しないのじゃ。でもすぐ食べられるし、ルチンだかなんだか身体にいいような気がするので蕎麦ばかりすすっている。ほんとにこれ、そば粉が使われているのだろうか、小麦粉を灰色で揉んだだけの代物なんじゃないだろうか、と猜疑的になっていたが、解決法を見つけた。
思い切り薄い汁で食べると、なんとなく蕎麦の味がする。野菜スープの中にそばをつっこんで食べていたらこのことに気づいた。
野菜スープは薄めのコンソメっていうか、塩味っていうか、そういう味で、めんつゆよりは味が薄い。悪食のそしりは覚悟するとして、こういう食べ方の方が蕎麦の味が引き立つのであった。そばつゆの中ではただの麺となり、その辺のスープで本領を発揮するこの蕎麦に、俺は悲しみを感じる。
でも、蕎麦の風味が強すぎないことで他のスープに居場所を求められているともいえる。そう考えると、なかなかしぶといちゅうか、したたかちゅうか、雑草のような蕎麦であるとも思え、この蕎麦におれは希望とかそういうものも感じる。

 

そばはうどんと比較されることが多いが、そばの方が奥が深いというか、蘊蓄が語られるモノだと思う。うどん屋や饂飩業者に怒られるかもしれないが、正しいうどんの食べ方だの、うどん打ちが趣味ですなんて言う人の話も聞いたことがない。しかし、蕎麦に関しては正しいもり蕎麦の食べ方なんてなものを得々と語る御仁がいるし、やはりね男と生まれたからには一生に一度は蕎麦を打たんとね、などとうそぶく親父もいる。
なぜこんなことになってしまっているのか。
それは正直に申し上げて、わからない。判らないがそういうことになっているのだ。
昔、長野出身の知り合いがいて、おれは信州そばしか食わんど、と言っていたが、果たして信州そばと他のそばの違いが分かっていたのだろうか。判っていなかったと思うけど、もし判っていたとしてもそんなことは言わなくてもよいのではないだろうか。
自称グルメ、みたいなやつは信用ならない。味覚はどうあっても共有できない事柄であり、それについてなにかと優越感を醸し出そうとするその卑劣さが許せんのである。

いかん。なんか最近愚痴っぽいというか批判めいたことばかり言っていて、良くないアルネ、こういうの。楽しい話がしたいあるね。
今日、職場で36歳のおっさんと42歳のおっさんが言い合ってたの。おれの部署。向かいのデスクで勃発してた。傍観してたら36歳が「まじで勘弁してくださいよ、ホント、ぶん殴りたいですよ」と言って、42歳がそれで着火、「いいよ、やろうよ」などと言って外に出て行った。
こらあかんど、と思ったおれはどうしようかなと思った挙句、自部署での騒動で周囲に申し訳なかった気持もあって二人を追ったの。
そしたら、ふたりが見当たらない。
路地を右に曲がって左に曲がって探したが見つからない。疲れて歩いていたら、タンポポを鉢で育成している家があった。野の花を鉢で育てる、その心意気やよし。そう思ったらなんかいろんなことがどうでもよくなって、戻ろう、と思って戻ったところ、会社の入口で二人に会ったの。42歳は手にソフトクリームを持っていた。仲直りのしるしに42歳はコンビニストアでソフトクリームを奢ろうとしたらしいが、36歳は拒否したらしい。42歳はうまそうにソフトクリームを齧っていた。おまえふざけんなよ、とおれも42歳に対して思った。しかしソフトクリームを見ていると、不思議だね、そういう怒りのエナジーが萎えていくのを感じるのさ。36歳も、もうどうしようもないっすよ、このおっさん。みたいな感じで笑っていた。そういう春の日で、楽しかったっちゃ楽しかったです。ベイビー。

 

文責:不動産屋