俺はなんばんぼし

釣具屋と不動産屋の

第69回「季節の変わり目について書こうと思ったがスカンジナビア」

Idag var det samma jobb som igår. På morgonen sammanfattade vi historien om Thailands återkontrakt, åt utsökt udon för 1000 yen, hade affärssamtal med ett marknadsföringsföretag på eftermiddagen, listade Guams kontraktsuppgifter, utarbetade en rapport om inkasso i Singapore och korrigerade innehåll om e-posttidningen som ska publiceras nästa vecka. Landsnamnet i främmande länder kom ut, och den faktiska verksamheten var inte den som glittrade, och det extra diverse arbetet kastades från höger till vänster eftersom företaget i Japan inte gynnade flexibiliteten även om landsnamnet i främmande länder kom ut, och det fanns något global känsla, och det fanns en cool känsla.
Affärssnacket om marknadsföringen hörde en intressant historia, och det rapporterade till den överordnade omedelbart, men chefens reaktion var inte bra, och det sades den tidigare åldern, "Det var obehagligt att kunna spåra individens söktrend så mycket", sa tydligt, och det var vascient. Och chefen vände sig till skärmen som visade bokningsskärmen på glampinganläggningen (skratt) som skulle gå på en lång semester i maj som kommer.
Det är ett sådant arbete som i dag.

なんて、スウェーデン語。
すごい時代になったものだなあ、と思います、ホント。日本語を入力するだけで、瞬く合間に多言語へ翻訳されてしまうのである。世の中に翻訳を謳うシステム、機器は空の星、浜の砂ほども開発されていて、その品質も日進月歩の勢い、ちゅうことらしい。
だから、別に日本語だけしか話せなくても海外旅行には行けるわけで、先日、会社で自称「海外旅行の手練れ」だというおばさんが、「英会話は機械に任せておけばいいのっ」と発言するのも当然なのだろう。翻訳の機器が日々よくなっている、それはそれですばらしいことだと思う。エンジニアたちの努力はものすごいものだと思う。

しかし、おばさんのように「英会話は機械に任せておけばいいのっ」だろうか、果たして本当にそうだろうか。
私は仕事柄、海外にいる外国人と電話で話す機会が多いのだが、彼ら彼女らはみんな、日本語を使って話してくれる。日本語を使ってくれているのだ。なぜなら、私に英語あるいは彼ら彼女らの母語で話し聞き取る能力がないからだ。海外のことを海外の人と日本語で話し合う。海外のビジネスについて、日本語で資料を作り、日本語で説明する。こうした仕事の仕方を、2年ほど続けている。
そして、おばさんがああ言うのを右の耳で聞きながら、左の耳にはアイフォーンをくっつけてタイ人の女の子と日本語で話していた時、このままじゃあかぬな、と卒然として思った。

正直に申し上げて、焦りを覚えた。ひとつの言語、しかも日本語という世界的にみればマイナーな言語しか操れずにいることに対して、恐怖を覚えたのである。別に今後、日本を脱出しようとか、海外との仕事を続けていきたいとか、そういうことを思ったのではなく、ただ単純に思いだしたように思った。やばいのではないか。
世界70億の人口のうち、単一の言語のみを扱っているのはどのくらいなのだろうか。インターネットによると約30~40%、20億から30億の人たちがこの層にあたるらしい。ということは、40億から50億の人たちは複数の言語でコミュニケーションができるということだ。
この割合をどうとらえるかは個人の勝手だろうが、私はこの領域において少数派に属し、属したまま生涯を終えるのはなんだかやりきれないものを感じる。もし自分がどこかの部族や先住民であって、そこの言葉しか話さないというのなら話は別だが、幸か不幸かそうした環境下にいない。外国語に触れる機会がいくらでもありながら、小中高大と教育を受けておきながら駆使できずにいるので、そうした現状に焦燥しているのである。齢30にもなって。

とにかく、なにか他の国の言葉を操れるようになりたい。ならないと自分は死ぬ。いや、いつかは必ず死ぬのだから操れるようになっても自分はいずれ死ぬのだが、とにかくそういうわけでいてもたってもいられず、新宿のごみごみした群衆にまぎれて紀伊国屋に飛び込んだ。
なんでもいいからと外国語の教習本を探したらスウェーデン語の参考書があったので、そういえば自分は北国が好きであった、冬の大気が鼻孔を抜ける感覚とか。でも北欧の冬は北海道のそれとは比肩できるものではないのかもしれない、スカンジナビアという語感も好きだが少々スタンスが安易なのではないか、などと考えているうちにその教習本を購入していて、結論として自分はスウェーデン語を操ろうと思っているの、これから。

勉強し始めてから1週間くらいしかたっていないからかもしれないが、まったく身に慣れぬ言語である、スウェーデン語というやつは。英語以外の言語をやろうとして気づいたが、日本人はある程度英語には慣れ親しんでいるんだなあ、と思ったね。
冒頭の文章もそのうち、なんなく読めるようになるのだろうか。精進アルノミ。
Hej då!

 

文責:不動産屋(焦燥状態)

※前回のオガサワラの回に対するアンサーソング的に「季節の変わり目」について書こうと思っていたのだが、こうなってしまった。今度はちゃんと季節の変わり目について書く。