俺はなんばんぼし

釣具屋と不動産屋の

第74回「世代としてのアンニュイ予備軍はアンニュイか」

人間には性格というか人となり、今風に言うとキャラ(Character)がある。持論だが、これはある異なるコミュニティに属する不特定多数の他人のうち、3人以上から同じようなコメントを受けたら、蓋然性が高まる、その通りなのだろうな、と思わざるを得ないと思っている。

「不特定多数」「他人」「3人以上」というのがキモで、互いに見知った間柄・コミュニティだと、おのずと人柄がある程度固定されてきてしまうからどうしてもバイアスがかかっているにちがいなく、信用できぬ。また、これは感覚だが、二人に同じことを言われるのはなんとなくあり得る気がするが、三人になると容易に看過できない。
三という数字は強い。三つ子の魂なんたらら、という。仏の顔も三度までだ。まあ、二度あることは三度あるから、もしかしたら2も強いのかもしれないが(逆にいえば、もし誰かになにか心無いことを言われて傷ついているとしても、それを言ったのが一人であればあまり気にすることはないと思う。複数人に言われていたらちょっと考える余地はあるが。)。
兎に角、自分を評する彼ら彼女らがまったく異なるグループに属しているにも拘わらず同じようなコメントをするということは、きっとおそらくたぶん、そのコメントに近い人柄として3人以外にも映っており、事実はそれに近いのだろうと思われる。

これまでにこのようにして自分が受けた宣告としては「結婚できなさそう」のみであったが、本日、新しい人格を付与していただいた。ずばり「アンニュイ」である。

アンニュイとはなにか。
もとは英語(Annoy)だろう、多分、指すところとしては「陰気な」とか「物憂げな」とか「憂鬱な」とか「気だるげな」とかそういった黴の生えそうな感じ、モスグリーンな感じ、ディズニーランドなどで楽しむ能力をまるで欠損している感じ、そういった感じであろうと思われる。これをポジティブに捉えるかネガティブに捉えるか、それは個人によるだろうが、私はあまり好ましく感じなかった。「君は暗いぜ」と言われているようで、暗いと言われて喜ぶやつがあるだろうか、失礼なやっちゃ。と思ったのだった。今もできればアンニュイでありたくないと思ってはいるが、もうあきらめというか、認めるしかないのだろうなあと思っている、現在進行形。

始めて自分をアンニュイと断定したのは、大工の手伝いで毎日通っていた旅館の社長だった。二人目は、今住まいを同じくしている女性である。そして本日、三人目が現れた。アンニュイ断定委員会に会社の上長が突如として躍り出てきたのである。
持論からいって、異なるコミュニティに属する3人の赤の他人から同じことを言われたので、ああ、私はアンニュイなのだなあ、と思い知って生きていこうと思う。

アンニュイとはなになのか、よくは分からないが、とにかく儂はアンニュイらしい。

なんだろう、時代なのかね。
というのは、上長のコメントに「最近の若者によくある~」のようなフィーリングがあったからで、そういわれてみると、最近の若者(といっても自分はすでに齢30になるが)は「個性をのばそう」「ナンバーワンよりもオンリーワン」などと呪文を唱えられて育成されたので直線的な向上心・競争心がない。金や社会的地位といったものに憧憬しない。などと評価されることが多い。
そういったこと(競争上の勝ち組や相対的ステータスなど)を希求してきた世代からすると、次世代の多くは無気力に感じられ、それがはっきりと定義できないものだから曖昧な外来語など使って、「アンニュイ」だのと言いのけるのかもしれない。

あっ。
てことは、ということは、上長は自分が特に「アンニュイ」だといったのではなく、世代の異なる者一般に対して「君らはアンニュイだよね、総じてさ」と言ったのであって、つまり持論としての3人ルールが瓦解することになり、私は別にアンニュイではない、ということになるのではないだろうか。だとすれば、慶賀すべき事である。集団としてのアンニュイは、アンニュイではない。それはマスクと同じような現象としてのファッションである。
まあいろいろ考えると溜息出ちゃうわ、って感じだが少なくとも、表面上は明るくいたいものである。Hemisphereって、半球、って意味。

 

文責:不動産屋