俺はなんばんぼし

釣具屋と不動産屋の

第87回「鳩の鳩による鳩のための Byホモサピエンス」

公園! 英語でいうと、パーク! 待つ、ということのできないおれは公共交通機関が使えぬので、自転車で会社に毎朝くりだしているのだが、その中途にやや大きめな、そうね、800坪くらいの公園がある。
この公園に胡乱な立て札がしてあり、街道や往来をゆく人々を脅かしているのだ。
そのような事実はまったくないが、とにかく立て札が立ててあって、書いてあるのは「鳩に餌をやるな」という趣旨の文言だ。ご丁寧にも、鳩自身が両の翼を胸の前で交差させ、バッテンを作って主張しているイラストまで描いてある。

なぜ鳩に餌をやってはいけないのか。
立て札によると、「鳩が人間から餌をもらうようになると、自力で生きていくことができなくなってしまいます。鳩のためにも餌をやらないでください」ということらしい。ダメ、の鳩も困ったような顔、すなはち、まなじりを下げていかにも困ってます、自分。みたいな顔をしていて、なにかと芸達者な鳩野郎だ。

しかし、鳩がみずから、「おれたちに餌を遣らないでくれ。おれたちは鳥なんだ、つまり自由の象徴なんだ。自由を愛するおれたちは、人間の餌を頼りにして生きていきたくないんだ、なぜならそれは人間への依存を意味する事であり、依存とは自由ではないからである。したがって、ここに給餌拒否宣言を樹立いたしたく候」などと口語と文語を取り混ぜて主張するはずはない。
みれば、あっちの鳩もこっちの鳩も、じいさんの周りに亡者のように群がりこんでいる。じいさんがパンくずを与えているのである。じいさんが手持ちのパンくずを費消してしまい、何もなくなって無聊、って感じになってからも鳩らは未練がましくじいさんの前方でうろうろしており、そんなこんなで、なんだなんだ、ってだいぶ遅れてやってくる馬鹿な鳩も出てくる始末だ。

こういった鳩たちを見ていて、つくづく思うことは、別に鳩らは餌を拒否してねえよ、自立したがってねえよ。むしろ、人間の手によってなるべく楽に生きようとしているんだよ、ということだ。
じゃあ、あの立て札はなんなのだ。あの、演技派の鳩はぜんたいなんなのだ。

人間の言葉で人間にわかるように書かれている以上、やはりこれは人間が書いたとしか思えない。人間の言葉を解するのは、犬だの猫だの海豚だの、例をとれば枚挙にいとまがないが、解するからといって駆使する犬だの猫だの海豚だのの話は聞いたことがない。もし聞いたことがあるよ、見たことがあるよ、という方がいたらぜひ教えてほしい。コメントを呉れたし。
とにかくそういうわけで、この立て札は人間が書いたに違いないが、人間は当然のことながら鳩ではない。鳩ではないのに、どうして鳩になりきって、あたかも鳩の目線で言っているかのように、鳩のコメントを勝手に考え出して、世間に号令をかけることができるのか。
鳩は人間から餌をもらいたい。鳩の動向を眺める限り、これが鳩の正直なきもちである。鳩のきもち、という雑誌が刊行されたとしたら、まず間違いなく「今月のホットな餌場」「餌を呉れそうな人相の見分け方30」だのといった記事が常設のコンテンツになるであろう、でも出版業界は不況と言われて久しいから、なかなか難しいものがあるかもね。
それはまあどうでもいいが、鳩としては「鳩にもっと餌を!」というのが真情であるにも拘わらず、それとは真反対のことが立て札には書かれているのだ。鳩の声明文として。鳩のイラストつきで。

やっとこさ、片手か両手で数えられるほどの身内のことで精いっぱいなのに、鳩のことなど果たして、人間に考えられるものだろうか。
何かのためを思って、お前のことを思って、あなたのことを思って。
その対象を守るようにみせかけて、実は自分を守る目的が肝心かなめで、結果的にその対象は守られない。
鳩が増えると私が困るからやめて、とは書かずに、鳩が困るからやめて、と書く。
非難から自己を守りながら他を攻めてゆく。うーむ。すがすがしいね。

なにが言いたいのかよく分からなくなってしまったが無理もない、もはや丑三つ時も過ぎている。3時間後には再び自転車にまたがって、あの公園を通過するのだ。

 

たまに4時とかに公園に行くと、どうしてこの時間にいるのだろう、と思わずにいられないじいさんやばあさんがウォーキングしていたり、チンベに座っていたりする。
こういう時、なんとなく気にも留めていない隣近所の存在は想像以上に不可解なものだ、とわりと強めに思う。

 

文責:不動産屋