俺はなんばんぼし

釣具屋と不動産屋の

第18回「子供と大人の間にて」

最近の私は、様々なものに対して不感気味である。仕事に対して気持ちというものがまるで入らず、一言で言えば腑抜け。一日の大半を費やしているのだし、将来のためにもスキルアップして技術を磨け、などという宣伝文句は理解できるが心がそれを拒んでしまい全く興味関心がわかない。一日の終わりに安堵し、週末に歓喜し、月曜に落胆する。毎週毎週同じことを馬鹿みたいに繰り返してしまっている。プライベートでもクレオパトラの様な美女と蜜月な中になれる訳もなく、すべての日々の風景にデジャビュー感を感じてしまう。ああ、日々に摩耗してる、会社員になじんでいくってこういう感じなのねん、とかなんとか思っている中、ラグビーの日本代表戦をたまたまテレビで見た。日本の予選最終戦スコットランド戦であった。それまでラグビーの試合を観戦したことはなかったが、今年の日本はどうやら強いらしい、という噂を小耳にはさんでいたので、なんとなく見ることにした。その試合は、予選を3連勝しているにも関わらず、負けたら予選敗退になるという大一番だった。試合終盤、ワントライ差を守るためにスコットランド勢の猛攻に耐え、全員が必死にタックルに行く姿を見て、涙がこぼれていた。とめどなく、勝手にこぼれてくるのだ。そういえば社会人になってめっきり生きることに一生懸命ではないことを、ああと思い出した。ラグビーの中に私が投影したものは、実体のない幻のような日々を送っている私であった。私の見たくないものを突如として突き付けられた気がしたのだ。無気力人間日本代表というものがあれば選出される自信がある私も、久々に何かに対して一生懸命になりたいと思ったのだ。とはいえ、いつもここで困ってしまう。何に対して、一生懸命になるか、という事である。いい会社に入って親を安心させる、という親孝行プロジェクトは3年前に達成し、その後だらだらと惰性で生きているのだ。この惰性がいかんのだ。目的をもって生きたほうが豊かな気がするじゃないか。というわけで、新たな目的を探しているのであるが、なかなか見つからない。人生は不可能性からの選択になってしまう。プロ野球選手や医者はもう目指せないだろう。宇宙飛行士も難しい。博士や大臣はまだ間に合うかもしれない。いや、違う。その先が大事なのか。何かになることを目的としまったら、その目的を達成したとき、またセミの抜け殻になってしまう。どう生きるかが大事なのか。どう生きたいのか。どう生きるか。生きるとは何か。いままで、自分の欲求というものに対して向き合ってこなかったツケが来ている気がする。30歳を前にしていまだそんなことを言っているのかと笑われる気もするが、私にとっては一大事なのである。この感覚をぬぐえないまま、誰かと結婚し、誰かの親になることはできまい。可及的速やかにこの問題を解決する必要がある。どう生きるか問題。というわけで、私はこの一年、やってみたいな、と思ったことを行い、どう生きるかを見つける旅をしようと思う。人生とは旅。人生とは夢。私にとっての人生とはいったい。方向性を定めることほど難しいことはない。

 

なんだか、うつうつとした文章になってしまった。しかし、みんなはこのどう生きるか問題に答えを見出しているのだろうか。大人になるという事は、この問題の答えを見出すことな気がする。子供と大人の最大の差はそこにあろう。なので、私はまだまだ子供なのだ。まっこと情けない。

ユーモア論に関してはまた今度書こうと思う。

 

おがさわら(大阪、28歳)