俺はなんばんぼし

釣具屋と不動産屋の

第§θ回「2021年3月18日 ミミズの悲しみ/いつからアジャパー」

あかん。
そういえば昔、アカンサスという名の競走馬がいた。弱いわけではないのだが、けして強いわけでもなく、買いどころが自分は判らなかった。やつは今どうしているのだろう。元気にやっているといいのだが。

あかんのはアカンサスではなく、ミミズである。三寒四温、って感じでも最近はなくなってきてめっきり春。そういえば昔、ハルウララという名の競走馬もいましたな。あの人気はなんだったのか、今となっては意味不明であるが、とにかく春。気候は温暖、洗濯物の乾きも早い。春になると姿を現すのは変質者と動植物と決まっていて、自宅勤務を命じられているもののたまに外に出てみると梅だの桜だのが咲いていた或いは咲いているし、その辺の雑草も茂ってきたような気もする。また、野良猫の姿をよく見るようになったのは個人的に非常にうれしいものである。
そんな感じで生物が生を謳歌しはじめているので、それならあたしも、といってそろそろ少しずつ躍り出てくるのが問題のミミズさんである。ミミズさんの何が問題だというのか。はっきり申し上げて、彼ら彼女らは馬鹿者であると思われるのである。人間もたいがいの馬鹿者だとは思うが、ミミズさんの馬鹿者さ加減に私はひとり、毎年呆れ果てているのね。呆れを通り過ぎて、悲しくなってくるのであります。
ミミズさんの何が馬鹿者なのか悲しいのかってそれは、やつらは先のことがまったく見通せないのですよ。ほら、アスファルトや舗装されてない道、まあ道ならなんでもいいのだけれど、炎天下、往来の真ん中で干乾びて絶命しているのを見かけることってありますでしょ。端っこで斃れてたり、けっこう真ん中まで進んで死んでたり色々あるけど、あれって、ミミズさんがこっちからあっちに渡ろうとして、飛び出したのはいいけど意想外に地面の熱、陽光の照射、行き交う人々などの危険な事象が多すぎて、中途で志尽きた、って感じですよね。あほだと思うんすよ、あかんと思うんすよ。渡る前に沈思黙考して、「俺は確かに今こっちからあっちへ渡りたい、だが御天道様や現生人類がそれを許さないだろう、万に一つ渡りきれたとしてもその頃の俺は満身創痍だろう、弊衣破帽だろう、とすれば月がのぼり人波が消えた頃に渡るのがよかろうね、待つよ、俺は」ってことで待てばいいのにね。なのに、無理を承知で、っていう以前に何も考えずに「俺の前には道がある、道があるから渡るのだ」って登山家みたいなことを言ってあたら命を無下にする。無意味に生き延びることが使命である生物として、そんなことでいいのか、ミミズさんたちよ。
しかし、無理はないのかもしれない。思考能力は脳みその大きさに比例する、という意見と、比例しない、という意見があるが、それはある程度の脳みそがあって成立する話であって、ミミズさんのサイズ的に思考能力が~などとあれこれ言ってもしようがなく、はっきり申し上げるとミミズさんには思考能力がないのだろう。だから何も考えずに、畜肉をひっさげて虎の檻に飛び込むような真似をしてしまうのだ。馬鹿なやつらだ。
などと書くと、今はなんにでも権利団体がある時代だから、おそらくミミズの権利を守る会みたいなものもあるんだろう、そこに弾劾されるかもしれないが、ミミズさんたちの歴史の中で多くのミミズさんが道の半ばで縊れてきた事実は変わらない。ミミズさんは自分の行動とその結果引き起こされるであろう過程、結果を想像することも見通すこともできないのだ。自らの益のために行動した結果、自らを滅ぼすことになっている。悲しい存在だと思う。

そうした、路上で変色したミミズさんを見かける度に、人間もまたミミズさんと同じなのだ、と思って悲しくなる。ちょっと前の女子風にいうと病む。
自らの行為が自分や周囲に何をもたらすのかを見通せずに、動機がどうあれ結果として破滅へと導いてしまうことが、ままある。もっと始末におえないのは未必の故意っていうか、わかっちゃいるけどやめられないというやつで、週末のニュース番組でインタビューに答える人らの答えには絶望を感じてならない。駄目だと思いながら危険を冒すな、バータレ。と思う。「自分、コロナになっても気にしないっすね」くらい言ってほしいものである。どっちかにしておくれ、と思う。数多くの人間が様々な立場で今の状況に立ち会い対応しているのだろうが、今のコロナに限らず国内外紛争だの環境問題だのエネルギー問題だの差別問題だの家庭問題だの経済活動だの遠近に様々あるけれども、総合的にみて人類は破滅を志向しているのではないか、と思えてならない。人間はアジャパーだ。いつからだ。元来か。生命はその根本がアジャパーなのか。げにうらかなしきことなり。げに敬具。

 

以上、現場からお伝えいたしました。

 

文責:不動産屋