俺はなんばんぼし

釣具屋と不動産屋の

第44回「個人的菊と刀」

最近マスクをしているから、初対面の人の前でマスクを外すことが恥ずかしく感じるようになってきた。これは顔を隠しているが故に生じる恥じらいであると思う。

 

海やプールで水着になるのも恥ずかしく感じる。これは服で上半身を隠しているから、ということと、自身の体に自信がないからだろう。一般的にいって肥満体質なため、ぶよぶよだからだ。体を鍛えると皆に見てもらいたいとなるのだろうか。なりそうだ。良い体だねと日々の努力を褒めてもらいたくなるだろう。

 

ときに、前々から思っていたのであるが、女性は海で水着になるのは恥ずかしくないのだろうか。何故なら、下着姿は恥じらう人が多いからだ。そして、水着と下着の露出面積はおおよそ同じくらいであろう。

即ち、下着姿を見られるのが恥ずかしいならば、水着で海を闊歩するのは当然恥ずかしい、という等式が成り立つはずである。

何人かの女性の友人にこの胸の内を打ち明けたことがある。

「だって水着じゃん。みんな着ているし」

かような回答が多かった気がする。確かに街中で一人だけ下着、だと相当恥ずかしいものがある。確かに、性風俗店に行ったときに下半身を露出するのは恥ずかしくない。それはそういう場所だからなのだろう。むしろもっと見てってすら思う。

また、友人に加藤という者がいるのだが、共通の友人の結婚式にいった際の事、加藤は真っ白な靴下を履いていた。それを指摘すると大層恥ずかしがっていた。やはり場の空気感みたいなものはあるのだろう。

 

私は一人で外食するのも恥ずかしさを感じることがある。ラーメン屋だとか定食屋等、飯を食う、という事が主目的っぽいところだとなんてことないのだが、居酒屋だとかファミレスだとか会話が主目的に含まれる場所に行くのが大層恥ずかしいのだ。あとわびしさ。手持無沙汰な感じがどうしてもなれないのだ。

そのため、1人でお酒を飲みに行ったことがない。もちろんお酒をそこまで必要としない体質であることも多分に含まれるが、やはりこの気恥ずかしさみたいなのが大いに邪魔している。バーかなんかに一人で行って、ばったり会った女性と一夜をともにする、みたいなのに密かに憧れを持っている。こんなこと恥ずかしくて言えやしないけど。

 

茶店に一人で行く事は全く問題がない。むしろ一人で行きたいくらいだ。本読んだり、タバコ吸ったり、何かを書き留めたり、そんな事をしていても場違いではないからだろう。

とはいえ、スターバックスに入るのは恥ずかしいと思う。ドトールは平気。たぶんフラペチーノって発音するのが恥ずかしいのだ。フラペチーノ。好きなんだけどねえ。甘くて。誰かといるときは全然平気なんだけど。

そうか、場違い感とか書いてきたが、実際には、他人の評価が気になるわけだ。他人の目ってやつはいつだって恥じらいを連れてくる。誰もみてやしないのに。

そういえば服装とか髪型の決定基準は、変じゃないか、という事である。正確に言うと他人に変に思われないか。自分がこの服装を、髪型にしたいからこうする、みたいな欲求はほとんどない。靴が嫌いだからサンダルをはきたいってのは、逆の感情だろう。おしゃれさんに憧れもあるが何がおしゃれなのかはさっぱり分からない。

 

一人旅ってやつも苦手である。美しい景色を見て、感動し、写真を撮る。ご当地のおいしいものを食べる。周りはキャッきゃと楽しそうにしているのに、なんともわびしいわね、1人でいる私を皆さんどう思われてらっしゃる?とか思っちゃう。恥じらいとわびしさは親戚なのかもしれない。

 

要はすべて慣れの様な気もするが、慣れたくないような気もする。でも一人旅に行きたくなることもある。憧れを実践したい気もするが、恥じらいが邪魔をすることが多い。

煩雑な心もちである。

 あるいは自信。自分に自信があったら他人の目なんか気にならなくなるのだろう。

恥の対極は自信。この仮説は正しいのかも。

 

夏が始まる。

 

文責おがさわら(30、大阪、無職)