俺はなんばんぼし

釣具屋と不動産屋の

第58回 夢かうつつか

生きてきた中で、あ、これやべえな、と思った瞬間が何回かある。交通事故を起こしたときやタバコの不始末で灰皿から煙が上がったりした時なんかもそうだが、やはり大学の時の進級に関わる時が最もその緊張感が大きかったのだろう。その時の夢を見ると、夢かうつつかわからなくなる。

 

テストが間近にもかかわらず、試験勉強は一切してなく、試験範囲すら把握してない。大体これまでの経験的にこのテストにはこれくらい勉強時間を要する、というのがわかる。それが全く足りていないことがわかった瞬間。あ、間に合わねえなこれ。そしてそのような科目が大量にある。一つでも落とすと留年が確定する。焦りますよね。あるいはそもそも履修登録をミスっている場合。履修登録期間を過ぎたあと、進級要件を満たしていないとわかった瞬間。注意深く何回も確認したはずなのに。そもそも足りてない。そんなバカな。または必要な書類を出し忘れたことに気がついたとき。大学院試の出願書類の締め切りが過ぎていた。決まりなんで、と土下座しようとも絶対に覆らない。

これらは一年を棒に振ることが確定する瞬間だ。物凄い冷や汗を掻く。血の気が引けるのが分かる。めちゃめちゃドキドキする。

 

こういったことが複合的に重なった夢をよく見る。いまだに見るのだ。その夢を見ている最中の気持ちは、まさに当事者の感覚。もちろん夢だと気がついていない。ドキドキし、やべえな、と思う。そして夢から覚めた瞬間、自分がどこにいるのか分からなくなる。寝てる部屋がどこか分からないし、頭を向けている方向すらも何やら違和感を感じる。起きた瞬間の景色に戸惑うのだ。あれ、テストどうなったっけ、心拍数はめちゃめちゃ上がり、え、留年した?勉強しなきゃ…やべえなと思っている。ただただそう思っている。しかしだんだんと、あ、夢かと気がつく。猛烈な安心感に包まれる。あ、そうか今は30歳の無職だ。テストは受けなくていいんだと。嫌な夢ではあるが、強烈な懐かしさも伴う。過去にタイムスリップした感覚なのだ。ともすると並行世界の、分岐したもう一つの自分の一端を垣間見たような感覚になる。夢かうつつか分からなくなる。

 

過去2度、車の運転中に眠気で意識を失ったことがある。ごく短い一瞬であるが、2回とも1人で高速を運転中に、SAが長い距離ない時であった。止まって仮眠したいのに止まれない。地獄の眠気である。眠い眠いと思いながら大声で歌を歌ったり窓を開けたりと眠気に抗うが、刹那、一瞬気を失うように意識が飛ぶ。次の瞬間、あ、やべ、意識飛んだ!と気がつく。冷や汗止まらず心拍数は最高潮で眠気が吹っ飛ぶ。かような経験はないだろうか。

本当に運の良いことに私は無事で、事故を起こさずに済んだ。しかし、その意識が飛んだ瞬間に世界が分岐したのではないか、という気がしてならない。今は無事で生きてるので、無事だった世界にいるけど、死んでいた世界ももしかしたらあって、そっちを認識していないだけ、みたいな。この感覚は意識が飛んだ2回にのみある。なんというか、普段布団で眠る時とは違う、世界の不連続点に遭遇したような感覚があるのだ。夢かうつつかわからなくなる。

 

そもそも過去の出来事というものが本当に存在していたかどうか、証明することは困難な気がする。記憶にしか残らないからだ。記録に残っているものは確かにあったのだろう。しかし日常の些事などは細かく覚えていない。友人らとの思い出話が一致する際はおそらくそのような出来事や会話があったのだろうということが分かる程度なのだ。とはいえ事実として本当に過去にあったことを忘れる分には良い。

恐ろしいと思うのは記憶の捏造なのだ。すなわち過去の捏造である。この時こうだった、と思い込む。本人が認識している分には嘘をついているだけになるが、本当に恐ろしいのは本人が捏造していることに気がついていない時だ。強烈に思い込む。すると本人の中では過去が変わるのだ。しかしそれは本人にしてみれば嘘でもなければ捏造でもない。燦然と輝く過去の事実となる。

人間はこのようなことが可能なゆえ、時折、自分の過去の記憶が疑わしくなることがある。あれ、本当にこんな体験したっけか、と。今覚えている記憶は本当に過去起きたのかしら。夢だったのではなかろうか。夢かうつつか分からなくなるのだ。

 

このような感覚は今現在にも時折紛れ込む。今この瞬間が夢なのか現実なのか分からなくなる。というよりフワフワとして現実味がない時がある。白昼夢を見ている訳ではない。が、繰り返し行なっている時によく紛れ込む。通勤の電車。毎日のご飯。友人とのひと時。デジャブ感というか、あれ、前にもあったな。夢かな現実かな、と急に地に足がつかなくなる。虚無なのかもしれない。大いなる錯覚を繰り広げているだけなのではないか、という感覚になる。

 

精神的にひどく参ってる訳でもないが、なんとなくこういう感覚になることがたまにある。あるあるなのかなと思って書いてみた感じである。自分の感覚と他人の感覚は大きく違うのでね。

 

冬は近い

 

P.S 

文章を読む時に、その認識パターンは大きく2通りあるらしい。一つは脳味噌の中で文章を音読して音と意味を紐付けて認識する人。もう一つは文章を文字記号として視覚的に意味を認識する人。

私は脳味噌で音読している。これが普通だと思ってたら意外と少数派みたい。視覚派の人は速読とか得意みたいですね。羨ましい。意外とこの話は盛り上がるのでオススメである。

 

文責おがさわら(30、大阪、無職)