俺はなんばんぼし

釣具屋と不動産屋の

第63回「ザッツザクエスチョン 黄色いボイス」

ばれ引退んでーであった。焦って、タイプミス。昨日はバレンタインデーであった。
チョコレーツがもらえるかどうか。そんなことを気にして生きていた時代もあったが、今やそんなことには心とらわれず、惑わされず、自由闊達に屁をこいたり甲類焼酎を水で薄めた液体を摂取したりしている。
とはいえやはり気にはなるもので、それが男だ。男なのだと思う、思いたい。っていうか、バレンタインデーに女子からチョコレートの贈り物を期待しないのは、かえって女子(おなご)らに失礼なのではないか、そこは期待はして然るべきなのではないか、だってそうだろう、男子から女子に期待をしないということは女子を女子として捉えていない・認識していないということだ。まあ、昨今はそういう属性を気軽に相手に貼り付けて接するとダイバーシティとやらに抵触するのかもしれないから、あまり大きな声では言えぬ。
つまり、今年はチョコレーツを女子からもらえる、そういう出来事は自分になかった。というと、少し嘘になる。今年もチョコレーツを女子からもらえる、そういうことはなかった。これが正しい。ちなみに、チョコレーツ、と複数形なのは複数人からもらえる可能性があるからでそれに備えていた、という背景があるがそのような想定は無駄であった。そして思い返すと、その前の年もそれらしきを受け取った記憶がなく、「も」の連鎖は複数年にわたって遡ることとなり、最後に「あれは確かにもらった」とメモリーとして残っているのは中学3年生、15歳の時分。今自分は30歳なので、ちょうど人生の中間地点で最後のチョコレートを頂戴したことになる。
愛のしるしの刻印を中間にいだいて、15年ずつの年月が横たわっている。前半は花も恥じらううら若き乙女からチョコレートを介して想いを受け取り、後半は屁と甲類焼酎とおっさんの波。これが何を意味するのか。

その意味はおいおい考えて答えを出していくとして、タイの女の子と電話で話したところ、社長に女子社員みんなでチョコレートを渡しておおいにオフィスが盛り上がった、とのことであった。きっと、その時社長は嬉しかっただろう。女子に囲まれてチョコレート、いや、みんなで渡すのだからチョコレーツの可能性が高い。黄色い声。

黄色い声。どうして女の子のきゃあきゃあ言う声のことを、黄色い声と表現するのだろう。
世の中には音に色みを感じる人種がいるらしいが、そんな特技をもった人でなくても、こう表現する。それは世間一般的に「嬌声のことは黄色い声というのよ」という共通の認識があるからだろうが、誰かがはじめに言い出したことは間違いない。誰だ、そいつは。どうして黄色なんだ。なぜ緑の声や、青い声、茶けた声、鶯色の声ではなかったのか。いや、鶯色の声は鶯の鳴き声だろうから鶯のそれは解決した。よかった。しかし黄色い声の謎はまったく解けないですよ、もう。
解けないが、じゃあ女の子のきゃあきゃあ言う声は何色なのか、と考えてみると、やっぱり黄色じゃないですかね、なんて先入観にとらわれたことしか思えない。
青色、うーむ、違う気がする、これは潮騒とかせせらぎとか、なにか水に関係するのではないか。
緑。なんだ、緑は。風か、そよぎ、そよめき、みたいなかすかな風。でもそんな弱い風は音がそもそもしないんじゃないですかね、と自問自答の末、結論。
っていうか、これじゃ自然の音で、声ではない。
改めて緑色の声。なんだろう、強いて言えば用水路にはまって往生している人の吐息、たとえばこれが緑色な気がするが、だめだ、声ではなく呼気じゃないか、これは。

突如思いついて申し訳ないが、謎が解けたような気がする。
黄色い声を出す時、彼女らはどういう状況にあるだろうか。それはおそらく、嬉しさを感じる、興奮する事態に出くわした場面である。
「感激やんけ、正味」「まことに喜ばしい、素敵な出来事ではありませんか」という気持ちがあふれ、その気持を感嘆詞を介して吐露した結果、そこに黄色い声が現出する。その時、彼女らは歓喜に包まれ幸福が横溢している、つまり光り輝くなにかを散じているような状態にあるのではないか。光は黄色、そして光源となった彼女らから聞こえる声も黄身を帯びている・・・・

早い話が、ボイスにおいては感情がその色味の鍵になっているのではないかね。ここにきて30歳はそう思いましたね。
ということは、他の色も声につくことができるような気がする。赤い声は怒り、憤懣。青い声は冷静、クール。
しかし、なんだか陳腐な気がしてならない。他の色味の声を考えてみると、黄色い声の高い完成度を感じる今日この頃でございます。敬具。


文責:不動産屋(15+15=30)