俺はなんばんぼし

釣具屋と不動産屋の

第94回「グローバルに先祖を祀る」

最近はどうもこの傾向が脆弱になりつつある気はするが、ニポン人は先祖を祀るのが好きである。だもんで、盆、みたいな機会を設けてみんなで墓参りをしようよ、って一斉に里帰りする。自分はニポン人であり、したがって先祖を祀るのが好きだ。いや、論理的に考えればニポン人であることと先祖祀りが好きなことは等号で結べないことくらいは文系でもわかる。まあでも、ニポン人は先祖祀りが好きなのだなあ、というエビデンスは他にもあって、これも今はなくなりつつあるが、家に仏壇なんぞを設えてチンチンしている家庭が田舎にはまだ割とあるだろう。西欧の家庭風景をのぞいてみても、家に先祖を祀るような装置があるだろうか、いやないだろう(反語)。あっても故人の肖像画や写真の類だ、それくらいだ。と思う。西欧以外のことは知らないが、というか西欧のこともあまり知らないので西欧の人に怒られるかもしれないが、とにかくニポン人は先祖を祀るのが好きな奴らである。

にも拘わらず。
これはどうしたことか、と思うのは、先祖を祀る、ね。自家の墓石の下にねむる祖父母らの御霊に手をあわせる。確かに先祖を祀ってはいるのだが、なにも彼ら彼女らだけが先祖ではないだろう。先祖はもっといるはずなのに、どうしてそれらの先祖を祀らないんだー、とこう思うのである。
聞くところによると、現生人類の祖先はアフリカ大陸に根源をもっているらしい。食べ物が少なくなったのか、タイガーの難を逃れてなのか、人が増えすぎて社会がバグったため押し出された結果なのか、その真相は分からないが、ヒトの祖先はアフリカ大陸から方方に散らばって拡がって、ある者はスカンジナビアへ、ある者はニューギニアへ、ある者はザンビアへ、ある者はクロアチアへと落ち着いたように、足かけ腰かけ何千何百の月日を経て、ニポンへたどり着いた者があったはずだ。
しかし、一代でアフリカからニポンへたどり着くような奴はおそらくいなかっただろうと思われる。当時はボーイングなどなかったし、船舶もカヌーに藻が生えたようなものしかなかっただろうから、おそらく陸続きで少しずつ進んできたのだろう。その途中、病に冒されることもあればタイガーに噛まれて死ぬようなおっさんもいただろうし、何人もが死んでは何人も生まれて、その繰り返しで徐々にニポンに近づいてきたのだと思う。
そのようにしてニポンに現生人類が住み着き、良い国つくろうだのホトトギスだの鎖国だのバカヤロー解散だのオリエンテーリング男だのラブレボリューション21だのカワイイは作れるだのいろいろとやってきたが、これすべて、アフリカからニポンまでの道程に沈んでいった人たち、いわゆるニポン人の先祖たちのおかげなのだ。
だから、ニポン人が先祖を祀ることをよしとする以上、こうした道程、世界各地で死んでいった先祖をも祀ることを祀り民族としては目指した方がいいんじゃあないかなあ、なんといってもグローバルな時代だし。なんてことを思うが、じゃあどうすりゃいいんだ、って聞かれても答えに窮す。

とりあえず今は西に向かって拝むことくらいしかできないが、Covid-19の脅威がおさまったら線香のひとつも供えに参じたい、そんな気持ちでいっぱいだ。