俺はなんばんぼし

釣具屋と不動産屋の

第96回「観た ハクソーリッジ」

ロシア兵に、ウクライナを攻撃する理由や根拠が本当に分かっている者はいるのだろうか。
ウクライナの兵士に、なぜウクライナを守り、ロシアを敵視するのか、その理由や根拠が分かっている者はいるのだろうか。

戦争は環境だと思う。転じて、対立は環境次第だと思う。その時、たまたま属した側、結果的に属した側に正義を感じ、その対岸にあるように当座は思えるものに対抗しているにすぎないのではないか。
ロシアの暴力を認めるわけではない。
ないのだが、ロシア兵としてやっている人に、果たしてウクライナを攻撃する根源的な理由があるのだろうか、もしかしたらないのではないだろうか、たまたま彼がロシアに生まれ、たまたま軍に入り、たまたま今という時にめぐり合わせたために、彼はウクライナを攻撃しているのではないだろうか。
人はおそらく環境にほとんどを支配される。彼がもし、日本に生まれていたら、おそらく今彼はウクライナを攻撃していない。環境なのだと思う、人の行動を左右するものは。

じゃあその環境はどうやって作られたものなのか、というと、それはまあいろいろあるだろうが、人間がだいぶん関与していることは否めなく、やっぱり人間がアレなんだろうな、人間は人間によってバグるんだろうな、という感じだ。

というようなことを「ハクソーリッジ」を観て感じた。WWⅡ、舞台は沖縄である。
米軍視点で制作された映画のため、映画の主眼は米軍側にあった。米軍の心情が描かれ、米軍の美学があった。敵は、日本軍である。我が、日本軍である。その日本軍と米軍がやりあうシーンをみて、米軍を応援している自分がいた。
僕は日本に生まれ日本で育ち日本語しか話さない生粋の日本人であるのに、木っ端みじんになってゆく日本人に感情移入することができない。どうしても、米軍の活躍に意気を感じてしまう。捨て身で爆弾とともに向かってくる日本軍に戦慄を覚えた。
僕はその出自からいえば、月月火水木金金、鬼畜米兵どもに憎しみのほむらを燃やして、相討ちする仲間に万歳三唱するべきなのだが。「戦争を知らぬ時代に生まれた私が、米軍視点の映画をみる」というその時の環境が、僕をそうさせなかったのだとおもう。
英霊に申し訳ないとも思う。情けないと思う。自分のよりどころが浮島のように頼りないものにも感じた。それでも僕は、自分の意志と関係なくたまたま置かれた状況に影響を受けざるを得ない。その不安定を思って、戦争もので初めて涙が流れた。

 

思うに対立とは、実にあやふやです。
二者の関係は上下、左右、西東、南北、新旧、男女、などがあるが、非常に分かりやすい。分かりやすいから、容易にこっち側の結束が固められ、あっち側への敵意も育めて、当座をやり過ごすには非常に甘美な関係性なのではないですかね。

カメラはなぜ三つの脚で安定するのかというと、三という数字がもっとも少ない構成で安定する値だからではないか。
諸葛亮は中国を3つの大国に分けて真なる平和を目指した。

三者ってのは、やっぱり必要ですよなあ・・・。
本当に持続していきたいのなら、SDGsに一番必要なのは、聞こえのいいお題目ではなくて、異なる正義に待ったをかけられる存在ですよなあ・・・。

 

文責:不動産